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何だか寂しかった

 二〇〇六年 十二月二十九日。


 秋葉原へ来るとき、いつもは末広町駅を使うのだが、久し振りに日比谷線の秋葉原駅で降りてみた。

 駅前の様子が随分変わっている。しかし、昭和通りに出てみると、以前とたいして変わらない風景が広がっていた。

 しかし、JR秋葉原駅方向へ歩いてみると、やっぱり全然変わっている。以前あった建物がどんどん無くなっている。

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 最近は一年に一度来るかどうかだが、九十年代までは秋葉原にはよく来ていた。ある程度知っている街が急速に変わっていくのは、何だか寂しい。

 以前は電気店だった建物が、パチンコ店や食い物屋が入ったただの雑居ビルになっていたりする。そして、何ヶ所ものビルが取り壊され、歯が抜けたように空間が空いている。

 再開発計画が秋葉原に出入りする人たちの与り知らぬところで動いている感じがして、不気味だ。

 街のところどころにメイド服を着た若い女性が立って、チラシを配っている。パソコンショップの店頭にあったフリーペーパーの情報によると、秋葉原には七十以上のメイド喫茶があるという。しかし、これらの店も数年後にはブームが去って、すっかり消えているのかもしれない。

 物事の変化に触れて寂しさを感じるというのは、歳を取ったという事だろうか。千年生きる仙人がいたとしたら、生きれば生きるほど寂しさを感じるのだろうか。

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豚は人間の排泄物を食うのか?

 二〇〇六年 十一月。


 病院に行くために、久し振りに家の外に出た。外の空気の匂いも、電車の音も、何も彼もが新鮮に感じられる。前の日よく眠れなくて身体感覚は冴えないのに、気分だけはわくわくした。



 時間に余裕があると、帰りに近くの早稲田大学に寄る。

 以前図書館に使っていた建物が、博物館になっている。

 二階に上がるとかつて閲覧室として使われていた大きな部屋があり、そこに考古学的遺物や絵画や陶磁器が並んでいる。

 外は学生たちでごった返しているが、博物館の中は警備員がひとりぽつんと座っている以外は誰もいない。

 古代中国の明器がいくつも並んでいる。

 古代中国には人は死んだ後も、地下の世界で生前と同じ生活をするという考えがあった。そのために故人が生前に使っていた道具や家や家畜のミニチュアを木や土で作り、墓に埋める習慣があった。その木や土で作ったミニチュアを明器と言う。始皇帝の兵馬俑は、それを大規模化したものだといえる。

 その中に豚舎という漢代の明器(興味のある人はこちらのサイトで探してみてください)があった。

 豚舎の隣に階段があり、階段を上ったところに便所がある。便所の下には豚が頭を突っ込むための穴がある。豚は人間の排泄物を食べるのか?

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吾妻橋から見る隅田川

 二〇〇六年 五月。


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 用事があって、いつもは昼過ぎまで寝ているのに午前中に起きて、浅草へ行った。午前中に起きると睡眠時間に関係なく、調子がいい気がする。何だか充実した気分で、目の前の事をこなしていける。

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 吾妻橋から見る隅田川が好きだ。ごちゃごちゃした浅草の街から吾妻橋の上へ出ると、隅田川の上に大きな空間が開ける。海に迫る断崖のように、河岸に雑居ビルが迫る。

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 神谷バー、格好いい。

 地下鉄に揺られる。いつもは突っ張った足の上に体重を乗せている感じだが、この日は上半身は空中に固定されていて、足はただそこから床に垂れている感じだった。僅かに曲げた膝が揺れを吸収している。





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山下公園のカモメ

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人に慣れているのか、近づいてもなかなか逃げない。


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全身を包む柔らかい気

 二〇〇五年 九月三十日。

 
 出掛ける仕度をしているときは浮かない気分でだるかったが、家から出ると何だか何かから開放された浮かれた気分になって、意味もなく駅まで駆けた。


 展覧会の内容は別に書く


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 帰り道、身体を包む気を感じた。最近は姿勢にばかりこだわって力む感じだった。だが、かつてはもっと自然にこういう柔らかい感覚を感じていたのかもしれないと思った。

 最近、息をするのも辛いような酷い疲労感を感じる事がある。数日前、感覚の変化に身を委ねる事を思い出し、かつては自分の中のイメージと現実との間に破れがなく、現実全体の流れをただ辿っていたのではないかと思った。私にとっては変化する現実に対応したり、イメージ通りに身体を動かす事が面倒で仕方ないのだが、極度の集中状態の中でイメージと現実が一致する感じだ。しかし、そのイメージを維持するのに酷くエネルギーを使うために、極度の疲労を感じるのではないか。これは、ひとつの「駆り立て」ではないのか。実は今感じているこの柔らかい気の拡がりさえ、感じていればそれで好いのではないのか。


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