2005年07月 | ARCHIVE-SELECT | 2005年09月

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ブログジャンキー

BLOGJunkieというサービスに登録してみた。
ブログを見るたびにポイントがもらえて、
そのポイントによって自分のブログも見てもらえる。
そして、自分のブログを見てもらうたびにポイントは消費されていく。
要するに、他人のブログをどんどん見なければ、
自分のブログも見てもらえないシステムになっている。

でも、私は他人のブログはあまり見ないし、
アクセスが増えても、一体何人に1人がリピーターになってくれるのだろう。
100人に1人もいるだろうか。

本当は、趣味の合いそうなブロガーを見つけては地道にコメントやトラックバックをして、
ネットワークを広げる事によってアクセスは増やすものだろう。
でも、今の私にはブログにそれだけのエネルギーを投入する余裕がない。

と言いつつ、ポイントが溜まるというとついブログジャンキーを通して、
ブログサーフィンしてしまう。
それで、いつもよりアクセスも増えた。

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|コンピュータ・ネット | 18:12 | comments:10 | trackbacks:0 | TOP↑

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散歩の楽しみ

 二〇〇五年 五月。

 出掛けようと思うと、酷く不快な、大声で笑い出したくなるような浮ついた気分になり、気持ちが空回りしている感じで、それが具体的な意欲や行動に全く繋がらず、結局疲れ果てた吐き気がするような嫌な気分になる事がよくある。そして、この日も病院に行こうと思うのだが、受付時間までに行けるとも、行こうとも思えない感じだった。
 このまま家に閉じ篭っているのも何だから、せめて散歩でもしようと夕方家を出た。
 始めは、なかなか歩く感覚が掴めなくて、ああかな、こうかなと身体感覚に対して強迫的になったが、最後の方にはいつの間にか意識しなくても、自然と楽な気分で歩けるようになっていた。散歩ってこんなに楽しいものだったかなぁと思った。

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|この身体、この精神 | 18:01 | comments:3 | trackbacks:0 | TOP↑

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壁がある

 二〇〇五年 五月。

 やろうと思っていた事が何も出来ないまま日が暮れて、何も彼もが上手くいっていないような、嫌で嫌で仕方ない気分になった。その嫌な気分を振り払おうとゲームをしたりして、また時間を使う。そんな事をしている自分が嫌で、余計嫌な気分になる。
 どうしようもなくて、モーニング娘。のライブDVDを眺めていた。彼女たちも彼女たちなりに一生懸命なんだろう。私も私なりに頑張ったら好い。今の自分が気に入らないなら、気に入るようにしたら好い。壁があるなら越えるだけの事だ。そう思ったら、少し気が楽になった。やりたい事を、やりたいように、思いっきりやっていれば、強迫的感覚の入り込む余地はないはずだ。

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|この身体、この精神 | 17:08 | comments:2 | trackbacks:0 | TOP↑

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家族への苛立ち

 二〇〇五年 五月三日。

 憲法記念日という事で、憲法に関する討論番組をやっている。人権に関する討論を聞いていて、
 「権利、権利って言って、義務を果たさない奴がいるから困るんだよな」
 と弟は言う。
 明らかに、私に対して言っている。弟のこういう発言を聞くと、いつも無性に腹が立つ。弟はいろいろな事に不満を抱きながら生きているタイプで、自分は生活しているだけで精一杯なのに、人権だ環境だと言っている人間が格好つけているように見えるのだろう。
 私は社会に対して意識の高い人間だった。だが、病によって行動力を失った私には何も出来ず、とりあえず全ての関心を放棄して、自分自身に意識を集中して病を片付ける事にした。やがて、社会への関心は薄れ、かつての自分が何も出来ないくせに格好だけつけている無力で恥ずかしい人間に思えてきた。今でも、家族の前で社会派っぽいドキュメンタリーを見るのが恥ずかしい。だが、実際には何が出来るとか、出来ないとかいう事が問題ではなく、無関心でいるよりもとにかく状況を知ろうとする事が重要だ。
 だが、そんな事が苛立ちの原因の本質ではない。問題は私が、家族が自分を馬鹿にしていると感じている事だ。確かに、今の私は無力だ。しかし、完全に無力だというわけでもない事も知っている。だが、それをどう伝えれば好いのか分からない。いや、家族に理解してもらう必要はない。そんな事が問題なのではない。私が全力を尽くして生きているなら、家族が何を思おうと気にもしないだろう。問題は、煮え切らない自分だ。

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|この身体、この精神 | 17:12 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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周囲に神経を使う

二〇〇五年 五月二日。

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 秋葉原に、買い物に行った。
 少し前に、猿の落とす食いさしの木の実を食べる、飛べない鳥の話をテレビで見た。猿がいつどこで木の実を食べるか彼らは知らないから、縄張りの中のいくつかのポイントをぐるぐる回っている。毎日同じ場所をぐるぐる回っているだけなんて、さぞかし退屈だろうと一瞬思ったが、多分ジャングルの中をただ歩くというだけでも、天敵を警戒したりといろいろ神経を使うだろう。それを見ながら、自分が街を歩くときも同じだと思った。
 よく今自分は何を感じているのか、何をどう感じて好いのかという強迫的思考に囚われて周囲が見えなくなったり、そのような強迫的思考と感覚で疲れてぼんやり歩いていて、後ろからクラクションを鳴らされる事がある。もっと周囲を意識できる状態を維持できるように、外を歩くときは常に自分を訓練すべきなのだ。そして、以前はそうしていた。でも、この日も周囲を意識し続ける事が難しい。
 帰りの電車の中で、窓を眺めながら考えた。久住小春がモーニング娘。の新メンバーに選ばれた。誰かがブログで、これから新曲に向けて厳しいレッスンが始まるんだろうと言っていた。厳しいレッスンか。今の自分には無理だと思った。昔は学校にも通っていたし、学校から帰ってきたら塾にも行った。どうしてそんな事が可能だったのだろうと、ずっと思っていた。だが、この日はあまり疲れも感じず、このまま帰って寝て明日から何か出来そうな気がした。

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|外出 | 19:08 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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記憶のまとまりのなさ

 二〇〇五年 四月。

 以前は、瞑想だけしていた。とにかく、集中する事ばかり考えていた。そのときの気感はかなりアバウトで、気が動いているのは分かったが、それを身体の外に感じているのか、内に感じているのかも曖昧だった。とにかく、温かい感覚や涼しい感覚が身体の内と外をなんとなく動いている感じだった。
 だが、二年ほど前、スワイショウという簡単な気功を始めてみた。気功の感覚は曖昧で何か緩んで伸びた感じで、それまで求めていた硬く集中した感覚と矛盾するように思えた。しかし、進む方向を見失っていたという事もあるが、それまで求めていた感覚が単なる力みだったようにも思えた。その後、やがて気感は曖昧な流れではなく、身体の部分部分を流れる明確な具体的感覚となった。
 だが、実際には本当に真剣に瞑想に取り組んでいた時期と、その後に再び取り組み始めるまでの間に数年のブランクがあり、その間に自己イメージや世界観がすっかり変わってしまったから、以前の気感と現在の気感との間の違いについては本当のところはよく分からない。
 その他にも、去年の今頃、とにかく頑張りたい、もっと強くなりたいと強く感じていたが、それは現在感じている気分と同じなんだろうか、違うのだろうか。去年の自分と現在の自分は違う気がするが、何がどう違うのか。それとも、実は何も違わないのか。とにかく、いまだに記憶の整理がつかない。とはいっても、そんな事より目の前の現実にまとまりをつける方が先だという気がして仕方ない。そうしないと、全てが怠惰に空想のまま時間だけがいつまでも過ぎていく気がする。

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|この身体、この精神 | 16:21 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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思考にではなく行為に集中する

 二〇〇五年 四月。

 いつものようにインターネットでニュースを読んでいると、なぜか凄いスピードで文章が頭の中に飛び込んでくる。小説「2001年宇宙の旅」のスターチャイルドの眼を思い出した。現実をただ一心に、嬉々として呑み込もうとする。まだ理解するには至らないが、いずれ理解する日も来るだろう。
 姿勢や感覚など、どうでも好い。文章が理解できさえすれば好いのだ。
 その自分の思考にではなく目の前の行為に集中するという感覚が、内動を展開する感覚に似ている気がした。


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|この身体、この精神 | 18:08 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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集中と拡大

 二〇〇五年 四月。

 散髪に行った。

 去年知ったナンバ歩きを思い出して、試してみた。足を踏み込む位置が、普通の歩き方より後方にあり、股関節を軽く曲げて、下腹を意識するような姿勢を維持しやすい。普通の歩き方だと足を踏み込む位置が上体より前にあって、地面を踏み締めて前へ進もうとすると股関節を前に突き出す感じになって、それでも腰を少し引く感じで股関節を曲げようとすると、変に尻を突き出したり、背中を曲げたりしてしまう。
 下腹を意識して、足を踏み締めて歩くうちに、楽に身体感覚に統合を感じられるようになってきた。意識が自分自身に硬く集中してきて、周囲の状況がはっきりと見える。

 ふと疑念を感じた。かつては一瞬で周囲の空間の隅々まで把握し、支配下に置けたが、それは感覚が周囲の空間に拡大していったのだと考えていた。しかし、今はどんどん硬く意識が自分自身に集中していくのを感じる。意識は自分自身にどんどん集中していくのに、逆に周囲の空間が現実感を増してはっきりと感じられる。少し前に考えていた感覚と、今現に感じている感覚が矛盾するように思えた。
 だが、今感じている感覚に比べると、少し前まで考えていた感覚は現実感のないスカスカの空想に過ぎない気もする。それに、以前も極度に自分自身に意識を集中する事で自分を客観化し、そうする事で逆に視野を拡げた。要するに、集中と拡大は矛盾しないのかもしれない。

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|この身体、この精神 | 18:39 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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