2005.10.31 Mon
細かい事
八月、自らの肉体に確信が戻った。前へ前へという手応えを意欲として感じた。しかし、その日常感覚と瞑想中の集中した感覚との間に矛盾を感じた。しかし、この肉体の手応えは瞑想と気功の蓄積の結果であって、それはしばらくは維持されるだろうし、それはそれで好いではないか、あまり細かい事を気にしなくても好いだろう、と思ったりもした。
瞑想中の集中と日常感覚との間に感じられた矛盾というのは、その日常感覚に安住していてもやがてその意欲と手応えは失われるだろうという不安と、もっと瞑想に瞑想を重ねて集中力をどんどん上げていかなければ、肉体と意欲を維持できないのではないかという焦りだったろう。日常における手応えと意欲は瞑想と気功の結果であり、それらをしなければそれはなかったわけで、それらの間に矛盾はない。ただ、私にとって瞑想と気功をする事がとても困難な事に思えてその習慣を維持できるか不安を感じ、常に瞑想や気功の事が気になって、もっと頑張らなければならないのではないかという焦りを生んでいたのだろう。
八月中は瞑想や気功をしなかった日は、それらをすればもっと上手くいくのではないか、今からやるべきではないか、とそんな事ばかり気にしていた。しかし、瞑想や気功は私にとって酷く負担で、それらをするとそれだけでその日が終わってしまう気がして、それが厭で仕方なかった。瞑想や気功以外の事でも、以前よりも状態は好くなっているのだからもっと何か出来るのではないか、もっと頑張るべきではないか、と常に思っていた。
しかし、九月に入ると季節の変わり目だからか疲労感と風邪のようなだるさを感じるようになり、毎日生活しているだけで精一杯という感じになって、瞑想や気功についても「まあ、好いや」という気の抜けた感じになってしまった。
というわけで、瞑想も気功もしばらくしないでいたが、ある日久し振りに瞑想をした。
瞑想から出てみると、ポッと身体に熱が籠った感じだった。それはけして不快な感覚ではなかったが「こんな感じで好かったんだっけ」という強迫的な疑念を感じた。しかし、その違和感はしばらくすると消えた。
瞑想をしても何かしようとするたびに生じる強迫的思考と感覚は相変わらずで、力む。しかし、よく考えてみるとだるさは軽減されていて、だったらあまり細かい事にこだわるのは止めて、とにかく行動を前に進めようと思った。
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|この身体、この精神 | 19:10 | comments:2 | trackbacks:0 | TOP↑














