2005年09月 | ARCHIVE-SELECT | 2005年11月

≫ EDIT

細かい事

 二〇〇五年 九月。

 八月、自らの肉体に確信が戻った。前へ前へという手応えを意欲として感じた。しかし、その日常感覚と瞑想中の集中した感覚との間に矛盾を感じた。しかし、この肉体の手応えは瞑想と気功の蓄積の結果であって、それはしばらくは維持されるだろうし、それはそれで好いではないか、あまり細かい事を気にしなくても好いだろう、と思ったりもした。

 瞑想中の集中と日常感覚との間に感じられた矛盾というのは、その日常感覚に安住していてもやがてその意欲と手応えは失われるだろうという不安と、もっと瞑想に瞑想を重ねて集中力をどんどん上げていかなければ、肉体と意欲を維持できないのではないかという焦りだったろう。日常における手応えと意欲は瞑想と気功の結果であり、それらをしなければそれはなかったわけで、それらの間に矛盾はない。ただ、私にとって瞑想と気功をする事がとても困難な事に思えてその習慣を維持できるか不安を感じ、常に瞑想や気功の事が気になって、もっと頑張らなければならないのではないかという焦りを生んでいたのだろう。



 八月中は瞑想や気功をしなかった日は、それらをすればもっと上手くいくのではないか、今からやるべきではないか、とそんな事ばかり気にしていた。しかし、瞑想や気功は私にとって酷く負担で、それらをするとそれだけでその日が終わってしまう気がして、それが厭で仕方なかった。瞑想や気功以外の事でも、以前よりも状態は好くなっているのだからもっと何か出来るのではないか、もっと頑張るべきではないか、と常に思っていた。
 
 しかし、九月に入ると季節の変わり目だからか疲労感と風邪のようなだるさを感じるようになり、毎日生活しているだけで精一杯という感じになって、瞑想や気功についても「まあ、好いや」という気の抜けた感じになってしまった。

 というわけで、瞑想も気功もしばらくしないでいたが、ある日久し振りに瞑想をした。

 瞑想から出てみると、ポッと身体に熱が籠った感じだった。それはけして不快な感覚ではなかったが「こんな感じで好かったんだっけ」という強迫的な疑念を感じた。しかし、その違和感はしばらくすると消えた。

 瞑想をしても何かしようとするたびに生じる強迫的思考と感覚は相変わらずで、力む。しかし、よく考えてみるとだるさは軽減されていて、だったらあまり細かい事にこだわるのは止めて、とにかく行動を前に進めようと思った。


ランキングに参加しています。下のバナーをクリックしていただけたら、ありがたいです。

|この身体、この精神 | 19:10 | comments:2 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

動く標的

 二〇〇五年 九月。


 ひきこもり続ける私はかつて、実際には会った事もないとある女性アイドルに本気で惚れてしまった事がある。

 彼女に恋する前までは、私が求める知識は私から見て静止した変化しない対象だった。静止して見えるから現実への対応を保留して、いつか、そのうちといつまでも空想の中に止まる事が出来た。

 しかし、彼女は生きた人間であり、時間とともに変化し、それに対する私の感情も変化していく。そして、知識は私がどんな人間であろうが手に入りさえすればそれで好かったが、恋愛では自分が相手にどう見えるかが常に気になる。

 つまり、彼女は動く標的だった。

 彼女を愛そうとする事で、私は現在という具体的現実の中の特定の具体的個人となった。

 自分を具体化するには、どうしても動く標的が必要なのか。一体今度は何を、動く標的にしたら好いのか。


ランキングに参加しています。下のバナーをクリックしていただけたら、ありがたいです。

|この身体、この精神 | 19:45 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

中国の今とは

 二〇〇五年 八月三十一日。


follow00.jpg



 Follow  Me!  フォロー・ミー! 新しい世紀の中国現代美術  森美術館東京都港区六本木 6 - 10 - 1  六本木ヒルズ森タワー 森美術館


 ヤン・フードンの「竹林の七賢人」というビデオ作品がある。

 私は知らないが多分有名な観光地の山の中で、竹林の七賢人になぞらえた七人の若者たちがその山への想いや思い出を絡めて深刻な表情で青春の苦悩を語っている。

 雲海の中に広がる松林や深刻な表情で山道を歩く若者たちのモノクロ映像には独特の趣があるのだが、若者たちの語るセリフがどこか陳腐で滑稽で、作者の意図がどこにあるのか簡単には分からず、その事がこの作品に謎めいた雰囲気を与えている。

 
 
 作者の名前は忘れたがスーツケースの中にニューヨークならニューヨーク、東京なら東京をイメージした箱庭を作り、その中からその都市で録った音が聞こえてくるという作品や、イン・シゥジェンの四方を中国のとある公園で撮った大きな写真で囲まれた空間の中にいくつもの小さな椅子が置いてあって、そこに座るとその公園で録った音が聞こえて、何だかその公園でたむろしている老人たちの会話に参加しているような気分になる作品や、街の風景写真の人々や看板を切り抜いて立体的に配置したチェン・シャオションの作品が、面白いと思った。

 私は作品の質感や音で情景を空間的にイメージさせる作品が好きなようだ。



 中国の今を感じるというのがこの展覧会のテーマだが、全体を通して中国というものを意識する事はなかった。国際的に活躍する美術家と、反日デモをやっているような出稼ぎ労働者たちや、北京や上海の下町のオバちゃんが同じ問題意識を共有しているとはどうも考えづらい。





follow01.jpg




 フィリップス・コレクション展も見たが、十九世紀の状況がよく分からないから何とも言いようがなかった。

 最後の方がかろうじて馴染みのある二十世紀にかかっていて、キュビスム絵画を眺めながらキュビスムではピカソよりも、渋い色調と質感のブラックが自分は好きなんだなと思った。



murakami00.jpg

murakami01.jpg

murakami02.jpg




 毛利庭園の池の中に、村上隆の作品が展示してあった。

 村上隆の面白さは私には理解できないが、目立っていた事は確かだ。




ランキングに参加しています。下のバナーをクリックしていただけたら、ありがたいです。

|美術館・博物館 | 18:17 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

ロールシャッハ (BlogPet)

八月は、しみとかを左右対称でイメージできるものが限られて
難しかったインクとかしみなどをイメージしなかったよ
病院のカウンセリングでロールシャッハテストしなかった
カウンセリングを受けた


*このエントリは、BlogPet(ブログペット)の「フェルト」が書きました。


ランキングに参加しています。下のバナーをクリックしていただけたら、ありがたいです。

|ブログペット | 10:38 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

後漢から盛唐へ

 二〇〇五年 八月三十一日。

china01.jpg



 中国・美の十字路展 〜後漢から盛唐へ〜  森美術館東京都港区六本木 6 - 10 - 1 六本木ヒルズ森タワー 森美術館


 テーマはこの前行った新シルクロード展と似たものだったが、新シルクロード展が地域別に文物を配置していたのに対し、こっちは時間の流れに沿っての配置となっていて、文化の変化をひとつのストーリーとして理解しやすかった。

 漢の時代の文物は、やたらと細工が細かい。兵馬俑展でも感じたのだが、そこには子供がリアルなプラモデルを作って喜ぶのと同じような趣味を感じた。特に陶で出来た部品を組み合わせて作った人の背よりもずっと高い楼閣は、いかにも子供が喜びそうだ。

 漢が滅亡した後、隋が統一するまで中国は戦乱の時代になるのだが、その混乱に乗じて北方や中央アジアの諸民族が侵入し、北部を支配された時代もあった。その漢民族と異民族間の衝突が異文化の融合を生み、唐の文化を生んだというのがこの展覧会の主張だ。

 確かにギリシア・ローマ、インド、中東などさまざまな文化の要素が含まれる唐の文物に比べると、漢の文物は細工は細かいが表現が硬く拡がりがないローカルな感じがした。

 あと、中央アジアの文物のデザインはデフォルメされてシンプルで表現主義的で、唐の文物は背後にさまざまな文化の豊かな文脈が感じられてロマン主義的だった。


ランキングに参加しています。下のバナーをクリックしていただけたら、ありがたいです。

|美術館・博物館 | 20:43 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

縄文と弥生

 二〇〇五年 八月二十六日。

 数日前、毎日自分は何をしているのだろうと思うと恥ずかしくなって、無駄な行為はどんどん切り捨てていくべきだと考えたのに、目が覚めると「まあ好いや」という何だか気が抜けた気分だった。

 

 駅まで歩いた。

 駅に着くといつもの身体感覚に強迫的になっているのとは違う、力の抜けた周囲の空間の拡がりを自然に感じられている晴れ晴れとした気分になっていた。こんな気分は久し振りだ。だが、こんなぼんやりした曖昧な気分に身を委ねていて好いのだろうか。それとも、普段があまりにもいろいろな事を気にし過ぎなのであって、この拡がりのある感覚が本来なのか。

 地下鉄の中でも、ずっと考えていた。
 
 以前は、ずっとこんな気分だったのか。子供の頃はどうだったのか。しかし、蘇ってくる記憶は一面的で、過去の自分を全体としてはどうしてもイメージの中に再現する事は出来なかった。
 
 上野に着く頃には、さっきの晴れ晴れした気分はすっかり消え去り、何だか疲れていた。



 「縄文 VS 弥生」展 国立科学博物館東京都台東区上野公園 7-20

 弥生式土器の実用的でシンプルなデザインに比べて、縄文式土器はごてごてとやたら模様や飾りがついている。縄文人はよほど暇だったのか。

 しばらくするとこの展覧会を企画した研究者がやってきて、展示の前で説明を始めた。他の来場者と一緒に、それを聞いた。

 縄文人は犬を家族同様に丁寧に埋葬したが、大陸から犬食を持ち込んだ弥生の遺跡から出てくる犬の骨には解体痕があり、弥生人は犬をペットではなく食料と見ていた事が分かる。さっきの研究者によると、犬食は戦国時代ぐらいまで続いたそうだ。韓国に犬食文化があるというのは聞いた事があったが、日本にもそれがあった事に驚いた。

 縄文人と弥生人の骨が比較展示してある。弥生人の骨がつるんとしているのに比べて、縄文人のそれはごつごつしていて特に足の骨の後ろに出っ張りがあり、そこに大きく発達した筋肉が付着していたという。同じ人間でも、生活の仕方でこんなに骨格に変化が生じるものなのか。

 縄文時代の二十歳前後のポリオの女性の骨がある。その年齢まで周りの人の介護を受けながら生きていたという事だ。縄文の狩猟採集生活というと厳しいサバイバル生活というイメージだが、案外皆仲好く助け合って生きていたのかもしれない。

 縄文の女性の骨盤が並べてある。その全てに妊娠痕がある。縄文の女性の骨盤で妊娠痕のない物は見つかった事がないという。つまり、当時は妊娠できる年齢に達した女性は全員妊娠を経験しているという社会だったという事だ。

 当時夫婦という観念はあったのだろうか。それともニホンザルの群れのように、集落全体が家族であって、その中でセックスは自由に行われていて、母子の関係は特定できても父子の関係は特定できず、子供は夫婦の子供というより集落全体の子供という感じだったのだろうかと、後から思った。

 最後に縄文の終わりに高知県に二十五キロ離れて同時に存在した、縄文と弥生の村についての展示があった。

 その縄文の村は弥生の影響を受けて農耕を始めていたが、祭りに使う道具は縄文式を守っていた。

 最新の放射性炭素年代測定によると、弥生時代の始まりが約五百年早まる可能性があるという。始め人口の一割だった弥生人が今までは三百年で日本の人口の九割になったという事になっていたが、弥生時代の始まりが五百年早まると人口比の逆転が八百年かけてゆっくりと進んだ事になる。三百年で急激な人口比の逆転が生じたとすると大陸から渡来系弥生人がどんどん渡ってきて、縄文人を駆逐していったというイメージになるが、人口比の逆転が八百年かけて行われたとすると、狩猟採集社会よりも稲作農耕社会の方が人口増加率が高くなるから、それだけの時間があれば大陸から渡ってきた人たちの数が少なくても十分人口比の逆転が起こりうるという。

 実際、弥生人同士の土地や水を巡る争いの跡はあっても、縄文人と弥生人の争った跡は見つかってないという。そもそも、縄文人は森や海の近くに住んでいたし、弥生人はそれまであまり人の住んでいなかった川の下流の平野に田畑を作って住んでいた。

 そして、弥生式の村に百パーセント渡来系弥生人が住んでいたわけでも、縄文式の村に縄文的な身体的特徴をもった人たちだけが住んでいたわけでもない。弥生の村の跡から縄文人の身体的特徴をもつ人骨は出てくるし、縄文の村から渡来系弥生人の身体的特徴をもつ人骨が出てきたりする。

 どうやら、縄文式の社会と弥生式の社会は互いに影響を与え合いながら、全体としては狩猟採集社会から稲作農耕社会へ変わっていったようだ。縄文と弥生の文化が具体的にどのように融合し現在の日本文化に繋がっていったかについては、まだよく分からないようだ。

 あと、ポスターの縄文と弥生の少女の写真の縄文の方の少女の顔は全然縄文の顔ではないと、研究者の人が言っていた。どうしても適当なモデルが見つからなくて、ああなったという。ゴルフの宮里藍が、縄文的な特徴をもった顔だそうだ。


kahaku00.jpg

kahaku01.jpg

kahaku02.jpg

kahaku03.jpg

kahaku04.jpg

kahaku05.jpg

kahaku06.jpg



ランキングに参加しています。下のバナーをクリックしていただけたら、ありがたいです。

|美術館・博物館 | 20:13 | comments:7 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

Google AdSense

 Google AdSense の申し込み承認のメールが届いていた。わくわくした。

 利用規約を読んでいると、難しくて、ややこしくて眠くなって頭がくらくらした。

 Google は Google AdSense 参加者の氏名を製品展示・発表(プレゼンテーション)、営業資料、顧客リスト、財務報告書および顧客のウェブサイトリストに使用できるというところが気になった。

 こちらは無料で利用しているのだから仕方ないのだが、Google はこのサービスに関して一切の責任を負わず、サービスを通じて生じた問題の責任は全て参加者が負うという一方的に Google に有利な契約となっている。

 Google AdSense はそのサイトに相応しい広告を自動的に表示してくれる。自分のサイトにどんな広告が表示されるのか、ブログペットがどんな言葉を喋るのかと同じような楽しみを感じて、さっそく広告を貼った。
 
 トップページには「驚異の潜在意識開発法」や「頭の回転が速くなる」といった、魅力的で怪しい広告が並んでいる。


ランキングに参加しています。下のバナーをクリックしていただけたら、ありがたいです。

|このブログについて | 15:47 | comments:4 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

意思より意志

作曲をする男と、それ以外の芸術をやる男とは、何が違うのか、を「哲学」する

私は作曲も演奏もしないから分からないのかもしれないですが、音楽がその他の表現手段と特別違うというイメージはないです。その背後に何かを造り出そうとする意志があるかないかが、芸術作品と自然物との違いだと思いますが、完成度の高い作品からはそういう作者の意志が滲み出てくるものです。音というのはそういう眼に見えない意志を直接表現できるものだと思います。そういう作者の意志を感じるからこそその作品の事をもっと知りたくなるのであって、最初から解釈を強いるような作品は駄目なんでしょう。

初めから伝えたい何かがあるというよりも、自分の中に生きている中で必然的に生じてくる感覚や思考があって、それに具体的な形を与える過程が表現という行為であるというのが私のイメージです。知識も技術も、思いつきを単なる思いつきとして通り過ぎさせず、具体的な形にするための手段として必要だという感じです。


ランキングに参加しています。下のバナーをクリックしていただけたら、ありがたいです。

|未分類 | 17:28 | comments:4 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

ロールシャッハ

 二〇〇五年 八月十八日。

 病院のカウンセリングでロールシャッハテストを受けた。

 インクのしみは左右対称でイメージできるものが限られて、難しかった。

 カウンセリングを受けている事に意味があるのか疑問を感じつつ、でも有名なロールシャッハテストを受けられただけでも好いかとも思った。


ランキングに参加しています。下のバナーをクリックしていただけたら、ありがたいです。

|通院 | 18:12 | comments:2 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

記憶の共有 (BlogPet)

偶然は、アクセルなどを使ったサービスを、アクセルログから分かるように情報を配置し、皆でそれを共有するときはさまざまな要素の関係を図を使った?
偶然は、広い範囲に含まれる地名や駅名などを含むブログの記事を増す
そしてまた我々は新たな世界のリアリティを増す
とか書いてみるの♪


*このエントリは、BlogPet(ブログペット)の「フェルト」が書きました。


ランキングに参加しています。下のバナーをクリックしていただけたら、ありがたいです。

|ブログペット | 10:57 | comments:3 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

俯瞰する感覚

 二〇〇五年 八月。

 その数日間、物事を前へ前へ進めようとする日常感覚と、瞑想によって造り出せる集中した状態との間の矛盾について考えていた。しかし、やがて実際にはそれらの間にたいした違いはない事に気がついた。ある日気功をした後、どっからでも掛かって来いというような静かな澄んだ感覚に包まれた。しかし、ふと「現在の自分」というという一点で力んでいるのとは違う、かつてのもっと拡がりのある感覚を思い出した。

P9290003.jpg


 私はさまざまな要素で出来ていて、自分自身を含むこの世界を構成するさまざまな要素を統制しようとする自己の主体がある。そして、かつてはこの世界そのものが明確な意志を持って動いているように見えていて、その世界の意志と自分の意志が密接に関係し合っていた。そして、その緊張感が一瞬一瞬に全力を尽くす事を可能にしていた。そのような全体を俯瞰する視線を持つ事で、世界を直接操作できそうだった。

 十年近く前、いろいろと追い詰められた私は一日限りの短期バイトを何回かした事があった。

 中学を出てから十年近く社会との関係を絶っていたし、当時は圧倒的な不快感が全身を覆い、午前中から出掛けたりすると全身が麻痺したようにだるく、重く、昼飯を食べても口が乾いていて唾液が出ず、全く味がしないし、飲み込むのも苦痛だった。そんな状態の自分が周囲から変に見えないか不安だった。

 しかし、実際は他人には外見だけからは何も分からないようだった。むしろ周囲の自分に対する態度を見ると、世界と自分の関係を感じているとき、ただそこにいるというだけで他人の眼に私は何か大きな存在に映るようだった。

 初めは緊張でどきどきして頭がくらくらしたし疲労感で変な気分だったが、他人への緊張感も全身を覆う圧倒的な不快感も、何回か行くうちに軽減した。自分の持つ適応力に、自分で感心した。

ランキングに参加しています。下のバナーをクリックしていただけたら、ありがたいです。

|この身体、この精神 | 18:12 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

2005年09月 | ARCHIVE-SELECT | 2005年11月