二〇〇五年 十一月四日。
外に出ると疲労で思考が鈍り、周囲の空間と自分の身体に現実感がなく、その自分の頭の中のイメージでしかないかのようなぼんやりとした空間の中を、ただ呼吸をして、身体を引き摺って移動しているような、ずっと以前の状態に戻ったようだった。しばらく瞑想や気功をサボっていて、感覚が鈍っているのだ。
病院で、ソーシャルワーカーと話した。人と話すとき、いつも、自分について何をどこまで話して好いのか分からなくて、戸惑う。
病院から出ると、四時少し前だった。
ネットで早稲田大学の理工学部で理工展というものをやっているのを知ったのだが、今から行っても十分に見る時間はあるだろうか。仮に時間がなくても、散歩のつもりで行けば好いと考えて、理工学部のキャンパスに向かった。


途中でノスタルジックな雰囲気を漂わせている大きな団地の横を通った。棟と棟の狭い空間に小さな公園があったり、巨大な棟の一階部分が商店になっていたりする。小さな広場で老人たちが談笑している。
その雰囲気を上手く表現できるか自信がなかったし、他人の生活の場にカメラを向ける事が憚られて、どうしても写真を撮る事が出来なかった。
明治通り側からキャンパスに入り、アトリウムを抜けて、中庭のような場所に出た。
いかにも内輪のイベントという感じで、全然盛り上がっていない。教室でそれぞれの学科なり、サークルなりが展示を行っているのだが、どの教室も見学者がなく、担当の学生が数人座っているだけで、どうも中に入り辛い雰囲気だ。
芸術学校がアートっぽい展示を行っている一角があり、それらの教室のひとつに入ってみた。
五つのスクリーンに短いカットを繋ぎ合わせたどこかで見たような東京の映像が、プロジェクターによって映し出されている。五つの映像とも森タワーからの展望で終わっている。よくある形式の作品だが、東京の街の雰囲気が何となく嗅げて、面白かった。
席を立ち教室から出ようとすると、担当の学生に感想を聞かれた。にわかに何と答えて好いか分からず戸惑い、
「この作品の意味は?」
と、とりあえず聞いてみた。
五人の学生がビデオカメラを手に同時に新宿を出発し、好きな場所を好きなように撮影しながら、最後に森タワーに集まった。それを編集したものがこれだそうだ。それぞれが好き勝手に撮った映像を並べて、そこに意図しない意味が生まれないかと考えたという。
東京の街の雰囲気が好く出ていて面白かったというような事を言って、その場を後にした。突然話しかけられて、変な汗をかいた。
もう一度アトリウムに戻って、建築展の展示を見た。
デジタル技術によって我々は、解像度という尺度を得た。リアル、ネットの境界を越えて我々は全ての記録を、解像度というひとつの尺度を通して見る事が出来る。
というような説明が書かれていた。面白いといえば面白い視点だが、何だかどこかで聞いたようなアイデアだ。というより、デジタル技術というのは、そもそも全ての情報を数値化して同じ方法で扱うための技術だ。それをヒントにしたアイデアだろう。だが、展示してある要素が、ちっとも統一された連続したものに見えてこなかった。文字と映像ではどちらが解像度が高く、どちらが低いのか。
web上で展開される建築展とこの展示ではどちらが解像度が高く、どちらが低いのか。
全体として、ここは物理や化学の基礎研究よりも、工学系が中心なのかと思った。中が吹き抜けになっていて、一階部分に工作機械が並んでいる建物があったり、研究棟の低層の外壁に細かい配管や空調装置がごてごてと張り付けられていて、まるで何かの工場のようだった。
ランキングに参加しています。下のバナーをクリックしていただけたら、ありがたいです。