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肉体的裏づけ

 二〇〇六年 一月。


 いつの間にか肩や首を力ませて、喉の奥の筋をカクッと鳴らす癖が出来た。これは、 以前真剣に瞑想に取り組んでいたときの感覚を身体が覚えていて、だが、 瞑想中姿勢を正して深い呼吸を維持しようとすると身体の深い部分の筋肉が鍛えられるわけだが、 最近はサボっているためにその深部筋肉が衰えていて、以前の手応えのある感覚を求めるが、 その感覚を支えるための肉体的な裏づけがないために、意味もなく身体を力ませてしまうのではないか。そんな事を、 夜中にテレビをぼんやり眺めながら考えていた。

 以前本気で病と闘っていたときは、その戦いに伴う痛みは当然の事として受け入れていた。それで壊れるのなら、 壊れれば好いと思っていた。だが、今の私には、平気でそんな事を言えるだけの精神力も、その精神力を支えるための肉体的な裏づけもない。
 
 その事を思い出すと、身体に熱を感じた。以前の感覚を、少し思い出せた気がした。

 

 自分が「どうであるか」という具体的個人としての自分を認識しなければ、何も出来ない。具体性を無視して、空想に耽っても仕方ない。 具体性と空想との間の接点が必要だが、普通の状態では空想と具体性を統合する事は不可能だ。しかし、 意識には空想と具体性との違いが消失する状態がある。

 ずっと以前、私は自分の具体性を飛び越えて、空想の中にいた。やがて、いろいろな意味で追い詰められた私は、自分が「どうであるか」 という事に関わるようになった。自分自身と目の前の現実に意識を集中すると、この世界を構成するさまざまな対象と、 それまで自分自身だと思っていた自分のさまざまな「性質」が同等に見え始め、自分の「性質」は操作の対象となった。つまり、「賢い」とか 「愚か」とか、「美しい」とか「醜い」とか、そういうさまざまな自分の「性質」よりも、そういう「性質」を操作できるという事が重要だった。



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紫のテンプレート

以前の明るくオシャレなテンプレートは今の私の気分に合わないので、変える事にした。

あのテンプレートには、どうも愚図愚図とどうしようもない事を書き込む気になれなかった。
別に後ろ向きというのではなく、これからいろいろな問題を乗り越えていく上で明るくばかりはいられないし、多少の狂気も必要だ。



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世界観を理論で表現する (BlogPet)

きょうは、フェルトが俳句を詠んでみようと思うの

 「そのものに 還元される 世紀かな」


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神意と自分の意志とのバランス

 二〇〇五年 十二月。


 とりあえず大学に行ってみようかと思ったが、大学のサイトによくある、若いみずみずしい感性がどうこうみたいな表現を見ると、 既に三十代の自分は大学に馴染めるのかと不安に思ってしまう。そして、 それ以前に無職無収入の私はこのままだといずれ経済的に破綻するわけで、大学どころではない。だが、そんな事ぐずぐず考えていても仕方ない、 私は私のやり方で前に進むしかないと考えてみるが意味もなく力むだけで、全然自分の意志に確信が持てない。

 要するに、自分の意志だけで、現実は動くものではない。以前、本当に真剣になったとき、 周囲の現実が明確な意志を持って動いているように見え、しかもその意志と自分の意志が互いに干渉し合っているように見えた事があった。 そのような現実の動きの背後に見る神意のような感覚と、自分の意志との間のバランスが重要だろう。

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明けましておめでとうございます (BlogPet) (BlogPet)

きょう弘毅の、生活しないです。


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世界観を理論で表現する

 二〇〇五年 十二月。


 書くのが辛くて仕方なくて、退屈しのぎにいくつかの大学のサイトで物理関係のページを眺めていた。


 「多元要素からなる自己組織系の物理」というプロジェクトが面白そうだ。「自己組織系」という言葉は魅力的だ。私という存在そのものが、自己組織系だ。

 二十世紀は還元主義だったが、今はたくさんの要素が複雑に関係し合っているような場でどのような事が起きるのかという事に関心が向かう流れがあるようだ。生物物理など流行っているみたいだ。


 芸術や学問が自分の世界観を表現するものだとしたら、私は理論でそれを表現するのが向いているかもしれない。


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約束はいらない(BlogPet) (BlogPet)

きょう弘毅で、紹介したいです。
東京で紹介するつもりだった。
弘毅とこはウォーミングしたいなぁ。


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アートの祭典

 二〇〇五年 十二月二日。


 この間病院に行ったときよりも早く家を出ようと思っていたが、一時間以上も送れて家を出た。

 京浜急行に乗り込んだ。地下鉄の壁に沿って取り付けられた椅子と違って、全ての椅子が進行方向を向いた車両だった。加速するときの背中がシートに押し付けられる感覚が、心地好い。京浜急行の車両は、他の路線の車両よりも加速性能が良い気がする。ホームを動き始めると、スーッとスムーズに加速する。線路わきの電柱も車両に近い気がして、余計にスピードを感じた。




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 横浜トリエンナーレ2005の会場の入口に着いたら、もう午後一時半だった。



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 ダニエル・ビュランの赤と白のストライプの三角旗のインスタレーションの下を、会場に向かって歩いた。
 横浜港の風景を眺めながら、以前もよくひとりでいろいろなところに出掛けた事を思い出した。十年前は今とあまり変わらないが、十五年前は今と随分違う気分だった気がする。十五年前はこの世界はどこまでも広がっていて、それと同じぐらい自分の可能性も拡がっているかに思えた。今では自分の人生で出来る事など高が知れている気がするし、世界もすっかり広がりを失って静まって見える。



 二時から堀尾貞治+現場芸術集団「空気」のパフォーマンスがあるのだが、腹が減ったからまずコクサイヤタイムラなる場所に向かった。



 コクサイヤタイムラにはいくつかの屋台があったが、客が全くいない。前日にネットで見た「ボロネーゼ丼」を食べた。不味くはないが、何度でも食べたいと思うほど美味しいわけでもなかった。チーズをトッピングして六五〇円という値段を考えれば、妥当なところかもしれない。

 ボロネーゼ丼を食ったら、二時を十分ほど過ぎていた。会場は山下埠頭の先っぽの二つの倉庫で構成されていて、その二つの倉庫の間はナカニワと名づけられている。堀尾貞治+現場芸術集団「空気」のパフォーマンスを見るためにナカニワに急いだが、パフォーマンスはちょうど終わったところだった。



 ナカニワを眺めると、円形に電話ボックスが並べられた場所がある。岩井成昭の作品だ。電話ボックスの中に入ると、電話機に受信専用と書かれている。受話器をとると、洗濯物を入れといてくれとか、いつも帰りが遅いようだが仕事が忙しいのかとか、いくつかのパターンで母親が一方的に話し掛けてくる。外から見ている人は本物の電話ボックスに見えるのかもしれないと、メモを取る真似をして遊んでみた。



 倉庫の中に戻るとカフェのような場所があった。プレイヤーの備え付けられたブースの中で、DVDを見る。カウンターに表示されている横浜市民から集めたインドに関するいくつかの質問の中からひとつ選ぶと、その回答がDVDとして渡されるのだ。DVDを見ていても、意味が分からない。見ているうちにこれがどんな質問に対する回答だったのかも忘れてしまった。
 これはオープンサークル(インタビューその1その2)というグループの作品なのだが、このグループは何年も継続して活動していて、ここでちょこっと見てその活動を完全に理解できるものではない。オン・ケンセンインタビュー)のフライング・サーカス・プロジェクトやル・ジェ(盧傑)(インタビュー第一弾、第二弾その1その2)のロングマーチにしても、そのような何年も掛けて進行中のプロジェクトをここでちらっと見て、きちんと理解し、正当に評価できた人はいるのだろうか。この時点で作品を理解しようとする努力を、諦めてしまった。



 るさんちまんの作品の中に九官鳥がいて、作品自体よりもその人懐こい九官鳥ばかりが印象に残った。

 壁に押し付けられたタイヤが回転しているミハエル・サイルストルファーの作品。ゴムの焼ける臭いと削りカスを残して擦り減っていくタイヤを眺めていると、時間はただ擦り減っていくように見えて、それだけではないんだ等と感傷的な気分になった。

 プラスチックのケースを積み上げて造られたヴォルフガング・ヴィンター&ベルトルト・ホルベルトの展望台は、展望台そのものも横浜の港の景色も美しかった。私はこうやって中に入ったり、触ったり出来る作品が好きなようだ。



 前回のトリエンナーレはみなとみらい地区という横浜でも一番賑やかな場所で今回よりも大きな規模で行われ、主催者の意気込みを感じたが、今回は山下埠頭の先っぽという横浜港の外れでひっそりと行われている感じで、内容も軽く感じる(こういう形になった経緯がここで聞けます)。その軽さのせいか、あるいは、作品を理解しようとする努力を放棄してしまったせいか、長く多くの作品を眺めていてもなぜか疲れを感じない。



 サッカーのボードゲームをプレイヤーの大きさを実物の2/1スケールまで拡大した、KOSUGE1-16+アトリエ・ワン+ヨココムの作品。私はサッカーのボードゲームというものをやった事がなく、あんな単純な動きしか出来ないゲームが面白いはずがないと思っていたが、やってみると意外と面白い事を発見した。あるいは、このゲームは巨大でひとりでは操作できなくて、見知らぬ人たちと協力してゲームを進めるのが楽しかったのか。隣で他のプレイヤーを操作する若い男性が、一日これをやっていても好いぐらいだというような事を言っていて、何だかこのトリエンナーレへの皮肉に思えた。(KOSUGE1-16、アトリエ・ワン、ヨココム、広瀬一郎氏のトークが聞けます。その1その2その3その4。この作品の意図が分かります。トークの中に出てきた実践という考えが気に入りました。私も試行錯誤と言う言葉が好きで、試行錯誤の中でどこまでも派生していく問題意識を、どこまで追いかけられるかがその人の生きる覚悟だと思います)



 板で出来た小屋というか箱があって、百円玉を入れて、お品書きから選んで注文すると中から絵が出てくる。中で何が行われているのかは分からない。という堀尾貞治+現場芸術集団「空気」(インタビュー)の百均絵画というパフォーマンス。SADA絵画を注文した。出てきたのは、青い台紙の上にドアが写った写真が貼ってあって、ドアの部分に切れ込みが入っているというものだった。隣に立っていた現場芸術集団「空気」の一員と思われる女性が唐突に、
 「ドアのところに切れ込みが入っている。いやー、オシャレだねー」
 と喋り掛けてくる。
 これはこの絵自体がどうというより、このパフォーマンスに参加した記念というか、お土産みたいなものだろう。

 

 そこは映像作品が集められた一角で、薄暗くなっている。高さ十センチほどの海から見た海岸線の写真のようなものが、帯状に延々と倉庫の壁に沿ってぐるりと張り巡らされて光っている。インゴ・ギュンターインタビュー)の作品。にわかに意味を理解する事は出来なかったが、単純に美しかった。



 誰もが気軽にアートを表現し、そして消費する五十年後の世界を舞台としたモノポリーのようなゲームが行われているキュレーターマン(ナウィン・ラワンチャイクンを中心としたグループ(インタビューその1その2))のインスタレーション。そこでは、一握りの成功者を中心に全てが回転する「中心と周辺」のマートと、アートという「あまり知られていない場所」との戦いが描かれている。
 今でもネット上ではたくさんの写真やイラストや小説などが気軽にアップされ、そして、誰もが無料でそれを眺められる。でも、その気軽さが全ての表現を単なる暇つぶしに過ぎなくしてしまう気がする。



 夕方から、会場内で現代詩の夕べというイベントがあった。司会の今回のトリエンナーレ総合ディレクターである川俣正氏が、このトリエンナーレのディレクターを務める上で、さまざまな人たちにいろいろ説明したり、話したりする機会があって、言葉による表現の重要さを再認識し、こういうイベントを考えたというような事を話した。
 段取りが悪く、なかなか詩の朗読が始まらない。招かれた白石かずこという詩人がどこへ行って、誰と会って、どうしたという話を延々としている。でも、私は白石という詩人を全く知らなかったからいろいろ話を聞いたおかげで、朗読を聴いたとき理解しやすかった。
 このイベントを聴いているうち、だんだんリラックスした気分になってきていた。今回のトリエンナーレはあまり展示してある作品ひとつひとつに神経質にこだわるのではなく、このように毎日開かれるさまざまなイベントを何となく楽しめれば好いのかもしれない。



 現代詩の夕べの後、このトリエンナーレは、祭典というには盛り上がりに欠けるが、この独特の静かな興奮とリラックスの入り混じった雰囲気を楽しむものなのかなどと考えながら、しばらく会場をぶらついた。会場の広さから一日あれば十分全ての作品を見られると考えていたが、何度か通ってゆっくり征服すべきだった。楽しみ方をやっと理解したところで、時間切れ、電池切れ、という感じで会場を後にした。




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|美術館・博物館 | 03:02 | comments:2 | trackbacks:0 | TOP↑

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明けましておめでとうございます (BlogPet) (BlogPet)

いつも、弘毅は
このブログを読んで下さったザンダー、コメント、トラックバックを寄せて下さったザンダー、去年は大変お世話になりました。
って言ってたけど…

*このエントリは、BlogPet(ブログペット)の「フェルト」が書きました。


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|ブログペット | 11:30 | comments:1 | trackbacks:0 | TOP↑

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