二〇〇六年 三月。
何だか、気分が晴れない。ゲームでもして気分を変えようかと、不意に思った。以前、ゲームという単純なルールと目的に意識を集中すると、一時的に体調がよくなる事があった。しかし、どうしてもそんな事で、時間を潰す気にはなれない。
十年近く前、パソコンゲームばかりして過ごした時期があった。それより前は、何かしなくては、何かしなくては、という感じで焦燥感の中にいた。何も出来ずに、ただ時間だけが過ぎていくのが辛くて仕方なかった。でも、何もする気になれないし、無理に何かしようとしても馬鹿みたいに全然捗らない。何かしようとすればするほど、そういう自分の状態に不満が募るばかりだった。
それで出来もしない事をしようとするのはやめて、自分の肉体に直接働きかける事にした。しかし、瞑想して、散歩して、書いて、というのがとてつもなく重荷だった。散歩をすると、感覚が変化する。そのまますぐにその変化について書いて、考えればいいのに、ついそれが苦痛でゲームなど始めて時間を潰してしまったものだった。だが、あの時ちゃんと書いておけばよかったとか、今から書こうとは思えない。その後、いろいろ書いた時期があったが、堂々巡りするだけだった。
以前はゲームなんかしても、面倒なだけで全然面白くなかった。他に何をしても上手くいかなくて、やけくそのなってやるぐらいだった。それがなぜか急に、意味もなく面白く思えるようになった。その楽しいという気分が新鮮で、しばらくゲームばかりしていた。とはいっても、面白いと思えるのは始めだけで、すぐに疲れて、飽きて、最後までやり遂げたゲームはほとんどない。
ところで、瞑想といっても、はじめは何をどうするのか全く分からなかった。しかし、感覚が掴めてくると、身体感覚は明らかに変化していった。
正に血が、滾るようだった。体温は、三十八度近くまで上がった。そして、世界の見え方が変わる。自分が世界の中心であるように思えた。自分がちょっと動いただけで、世界はガラッと変わってしまうような、異常な緊張と興奮が私を支配した。
もちろん、そのような状態は持続しなかった。すぐに疲れ果てて、ぐったりした。そのような緊張と弛緩を繰り返した。そして、ほとんどの時間はぐったりしていた。しかし、それ以前は一瞬一瞬生きているのが辛くて、身体を起こしているのも苦痛だったが、いつの間にかそうでもなくなった。というより、生きる事を受け入れる事が出来た。
行動力さえ回復させれば何とかなると、強引に思考を単純化した。それ以外の関心を切り捨て、全ての関心を自分自身に集中させる事で、世界の見え方は変わった。やがて、かつて私を打ち倒した圧倒的な絶望は薄れていった。しかし、次の展開が見えず、その特異な緊張は維持されなかった。
数年振りに電車に乗って、街に出掛けてみた。数年振りに歩く街は、すっかり姿を変えていた。頭が、くらくらする。目の前の人間たちも、本当の人間なのか分からない。目の前の現実が、本当に手で触れるのか訝しく思えるほど、とんでもなく遠くに見える。といっても、手で触ってみたところで、リアリティが増すわけでもなかった。どうやら、私の感覚そのものが、リアリティを失っているようだった。
子供の頃は、世界はどうしようもなく当たり前に目の前に広がっていて、それに対してリアリティがどうこうなんて考えたりはしなかった。その意味の分からない現実の中でもがくうちに、病に陥り、行動力を完全に失った。それで、結局自分自身に関心を集中させるしかなかった。そうする事で出来た特異な緊張状態の中で、自分という一点でこの世界を包囲するような、世界と自分との「関係性」を知った。それは、強烈なリアリティを持った感覚だった。その「関係性」を別の言葉で言い換えれば、「直感」だろう。一瞬で全てを理解する感じ。いや、正確に言えば全く理解できているわけではないが、確信を持った感じだ。
以前は知識を蓄積してそれを組み立てて体系化すれば、何らかの「力」になると思っていた。しかし、病によってそれが出来なかった私は、結局直感を鍛えるしかなかったのかもしれない。
だが、その後次の展開が見えず、全てが気分の問題に過ぎなかったような気がしてきた。結局、全ては気分をいじくっていただけなのだと思った。それで、新たに得たリアリティをどう扱っていいか分からず、一時的に自分の感覚からリアリティが消えたのかもしれない。
今はかつてのように自分を駆り立てて極度の緊張状態を作り出して、それに依存しなくても、静かに拡がりのあるリアリティを維持できている。かつてのリアリティは、激しいが今この瞬間の自分という一点で現実をなぞっているような、細部を一切持たない部分的で限定的な感覚だった。だが、今は世界の細部を少しずつ意識できるようになった気がする。
そんな事を、ふと考えた。
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