二〇〇六年 七月。
眠れない夜、考え続けた。
勉強してみようと思う。しかし、何故もっと早くそう思えなかったのか。
かつての自分になくて今の自分にあるのは世界との関係性への「認識」だ。世界との関係性は生じたり消えたりするものではなく、気づくか気づかないかの問題だから「認識」だ。
しかし、知識を増やす事で世界との関係性が増すのだろうか。そもそも世界との関係性とは何だ。
十五の頃から家にひきこもり続けて二十代も半ばになる頃、同年代の人間はもう学校も卒業して社会人なのだと思うと、ひとり取り残された気がして酷いさみしさに襲われた。
当時、アイドル番組ばかり見ていた。やがてあるアイドルが好きになった。「彼女なしでは生きていけない」というせつない感覚がうつ病の感覚に似ている気がした。だがその感覚はうつ病の感覚とは違ってはっきりとした原因を持っている分、うつ病の感覚よりもコントロールしやすいのではないかと思った。そして、そのせつない感覚をコントロールできれば、うつ病の感覚をコントロールするヒントになるかもしれないと考え、彼女を現実に愛する事にした。
しかし同時に実際には自分とは何の接点もないアイドルを好きになるなんて馬鹿げているし、好きになってどうなるのかとも考えて、現実に彼女を愛そうという自分の考えに頭がくらくらするほどの抵抗を感じた。だから彼女の事を考えれば考えるほど激しい葛藤が生じた。自分の中の葛藤と向き合うために彼女の事を考えているようで実際は自分自身に意識は集中していった。
自分のさまざまな要素が主体から剥がれ落ち、対象化され操作の対象となった。それまで自分自身だと思っていたものが単なる一要素として操作の対象となる事で、自分とそれ以外のこの世界のあらゆる雑多な対象が同等に見え始めた。自分が自分でないような、「自分」という言葉がこの世界のどこを指す言葉なのか分からないような、離人症的な混乱に陥った。
そうこうするうちにこの世界が明確な意志を持って動いていて、その意志と自分の意識が密接に干渉し合っているように見え始めた。当時読んでいたキルケゴールの「
死に至る病
」の影響を受け世界の意志を神と考え、世界との関係性という自分の内とも外ともつかない部分に自分の主体を置く事で、自分の中の要素を対象化すればするほど主体が増す形を作り、離人症的混乱からは抜け出せた。
私をあるアイドルへと駆り立てたさみしさやむなしさといった目的を持たない弱々しい感覚は、その後の激しい葛藤の中で生き残れず消えた。思考は結局彼女への想いを振り切ってしまった。彼女の中に自分だけに理解できる運命のようなものを求めていたが、いつの間にか彼女がありふれた女性に見えるようになってしまった。
かつて私を打ち倒した絶望は消え、世界はそれまでとまるで違って見えた。闘いに負けはしなかった。しかし、何を得たわけでもない気がした。そして、かつての絶望とは対極にあるような、冷めた失望と苛立ちを感じた。次に何をしていいか分からなかった私は、モラトリアムな状態に陥った。
それでも精神と肉体の状態はよくしていかなければならないと考えて、病との闘いの中で覚えた瞑想や気功といった方法と感覚は維持しようと思った。
しかし、これといった展望がないために、状態さえ良くなればいずれ全て上手くいくというような極端で単純な考えが生まれ、自分の精神的、肉体的な状態に強迫的に囚われて身動きが取れなくなったのかもしれない。
かつての変化のきっかけは、あるアイドルという自分の気分や感覚の外部にある具体的な対象への関心だった。そうする事で自分を客観化でき、自分を客観化する事ではじめて自分自身に意識を集中できた。勉強して知識を増す事で、世界との関係性が増すかどうかは分からない。ただ知識を増す事で、より世界がクリアに見える事は確かだ。そのようにして自分自身を含む世界へ関心を向ける事で自分自身を客観化し再び自分をコントロールできる状態を作り出せるかもしれない。
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