2006年11月 | ARCHIVE-SELECT | 2007年01月

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思考を組み立てる

 二〇〇六年 九月。


 この前買ってきた放送大学の「初歩からの微積分」というテキストを読んでみた。

 活字を眼だけで追っていても、ところどころで「ん?何?」みたいなところがある。実際に手を動かして、式を変形してみないと理解できない。式をいじくっているうちにどこかで見たような形が見えてくる。あそこで出てきた事はここで使うのかという感じで、さっきまで分かったような分からないような曖昧だったものが頭の中で具体的な形になっていく感覚に興奮する。

 始め数学的思考というのは、日常の思考とは違って特殊なのかと思った。しかし、よく考えてみると過去の経験や思考を組み立てて、常に新しい世界観を作り出そうという日常の思考と何も変わらない。

 病気になったとき、急に数学が出来なくなってがっかりした。何をしても知識は雑学的に平坦に広がっていくだけで、その事に強い不満を感じた。この病気は、自分の思考を体系化するような能力を低下させるのかもしれない。しかし、今は当時に比べると自覚的に思考を組み立てられるようになっている気がする。だとすると、病気は良くなっているのかもしれない。そして、自らの経験や思考を組み立てて自分なりの世界観を作り出せるかどうかが、子供と大人の境界線なのかもしれない。

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|この身体、この精神 | 04:40 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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アイデンティティ

 二〇〇六年 八月。


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 シティビューに上ると、そんなに天気は良くないのに空気が澄んでいる。いつもは見えない横浜のランドマークタワーが見える。写真を撮ろうと思ったが、残念な事に二枚撮ったところで電池が切れてしまった。

 羽田空港が妙に近く見える。着陸間近でも時速二、三百キロはあるはずなのに、小さく見えるジェット機たちがスローモーションのようにゆっくりと滑走路に降り立って行く。




 
 アフリカ・リミックス展        森美術館


 アフリカというのは特定の国や言語や文化を指す言葉ではなく、大陸の名だ。アフリカにはいくつもの国があり、それぞれの国がそれぞれの歴史を持っているし、そこで暮らす個人にしてもネイティブの人もいればかつての植民地主義者の子孫の白人たちもいる。そういうさまざまな歴史や個人のアイデンティティが混じり合っているという事で「リミックス」らしい。

 この展覧会のテーマはアイデンティティのようだ。アフリカにはネイティブの人もいれば、かつての植民地主義者の末裔である白人もいる。キリスト教徒もいれば、イスラム教徒もいる。アフリカの文化といったとき、植民地化される前と植民地化された後に分裂がある。政治的、経済的に不安定な地域もたくさんある。そういうところから離れてヨーロッパに渡り、地元住民と対立しながら暮らすアフリカルーツの人もいる。とにかく、日常的に葛藤と対立の中にいる。

 日本の外に出た事のない私は他者との対立の中で自分の属する文化に自覚的になるという経験がないし、人種的なルーツや特定の地域の歴史とアイデンティティを絡めて考えた事がない。だから、何だかピンと来なかった。でも、日本という島国ではなく、大陸で暮らしていればさまざまな文化の衝突と融合を経験するというのは分かる。それは「転換期の作法」展「東京-ベルリン/ベルリン-東京」展でも感じた。自分もそういう場所で暮らせばもっと自分の価値観に自覚的になって、何らかの変化を経験するのかもしれない。

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|美術館・博物館 | 03:11 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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深い呼吸

 二〇〇六年 八月。


 何かやさしい数学の本はないかと考えていて、そうだ放送大学があるではないかという事で、放送大学のテキストを買うために丸善によった。

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 ここのところずっと姿勢ばかり気にして深い呼吸を意識するのを忘れていたが、最近は深い呼吸を意識しながら歩く事にしていた。始めは深い呼吸を維持するのが辛くて、息を深く吐こうとすると力んでしまった。しかし、この日は静かに長く息を吐く事ができた。

 いつもはああでもない、こうでもないと考えてしまうのだが、呼吸を深くすると自然と目の前の事に集中できる気がした。 


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|この身体、この精神 | 03:19 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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とか書いてた(BlogPet)

昨日、弘毅が
リングなどを密生したかもー 二〇〇六年 六月  再びカルティエ現代美術財団オープン展(東京都現代
とか書いてた?

*このエントリは、BlogPet(ブログペット)の「フェルト」が書きました。


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|ブログペット | 10:03 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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オープンキャンパス

 二〇〇六年 七月。


 
 病院の近くに早稲田大学があり、去年の秋理工展に病院の帰りにふと立ち寄った。全ての展示を見たわけではないが、見た限りにおいては学生の展示は正直それほどレベルを高くは感じなかった。しかし、それをきっかけに大学というものに具体的な興味を持った。

 

 子供の頃物理学を志していた事を思い出した私は、大学のサイトのいろいろな研究室のページを見るようになった。

 生物物理という分野をはじめて知った。生物学は個別的な問題を研究する学問だが、生物物理はもっとミクロで普遍的な生物の仕組みを研究するようだ。はじめはそういういろいろな分野が絡み合った事を研究するのも面白そうに思った。しかし、いろいろ見ていくうちに「Quantum Physics」という量子力学を使ってどうこうというより量子力学そのものを研究する分野を見つけた。観測問題という認識論的問題もあるし、そういう基礎的な事を研究するのも面白いと思った。

 大学のサイトを見ていたらオープンキャンパスで量子力学を研究している教授が模擬授業をするというから、大久保キャンパスに向かった。



 高校生の中に三十代の自分が入っていくのが恥ずかしくて仕方ない。それで、戸山公園をまわって北側の小さな入口から侵入した。ネットで予め調べておいた教室へ、俯いて真直ぐ向かう。理工展で一度来ているから、建物の配置は大体分かっている。

 教室には二十数人の若者がいる。私は最初の二ヶ月しか高校には通わなかったが、高校生ってどんな感じなんだろうかと思った。中学出たばかりでたいした知識も経験もないはずなのに、彼らはどうやって学部や学科を選ぶのだろうか。私が十代の頃はこれからどうやって生きるか以前に、そもそも自分が生まれて生きているという事実をどう理解して、受け入れていいのか分からないといった感じだった。

 高校生の中で自分が浮いていないかびくびくしながら、話を聞いた。

 二重スリットを使った電子の干渉の実験や、量子の重ね合わせの原理はベクトルの和で表せるとかそんな内容だった。教授はそれほど強い印象を残すタイプの人物ではなかった。自分の情熱や関心の中へ周りの人間を引き込んでいける人間と、そうでない人間の違いはどこにあるのだろうか。

 話が終わると急いでキャンパスから離脱した。あんな気恥ずかしいような、居心地の悪い感じは久し振りだった。



 東大の本郷キャンパスに向かった

 本郷キャンパスの近くで、古くてシャレた建物を見つけた。
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 早稲田と違って東大は人がいなくて、落ち着く。
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 東京大学総合研究博物館

 

 標本は語る」展



 博物学者のリンネに関する展示が行われていた。

 数年前に来たときより、展示が上手くなっている。格好いい。たくさんの標本と説明や図の間を歩いていると、立体化した百科事典の中に迷い込んだようでわくわくする。知らない言葉を片っ端からメモしていった。

 自分は神の財産目録を作るのだというようなリンネの言葉が紹介されていた。そんなの彼の思い込みに過ぎないと言ってしまえばそれまでだが、そういう一神教の思想と近代科学の誕生には関係がある気がした。多神教だと神々も我々人間と同じこの世界の住人という感じだが、一神教だと唯一神という超越的な存在を仮定し、そういう超越的な存在と自分との関係という自分の内とも外ともつかない場所に自らの主体を置く事で、自分を含めてこの世界を徹底して客観的に見る事が出来るような気がする。



 時空のデザイン」展



 本当は「時空のデザイン」展の方を目当てにやって来たのだが、「標本は語る」展の方に時間を使い過ぎてこっちの方はさらっとしか見る事が出来なかった。

 一九〇五年、アインシュタインの奇跡の年。自分も勉強して論文とか書いてみたいと思った。でも、次の瞬間、そんな事出来るわけないだろうという気がして頭がくらくらした。

 古代の宇宙観みたいなものが紹介されていた。それは今から見ると事実と全然違うけれど、千年、二千年後の人たちから見たら今の我々の言ったり、やったりしている事もどこか滑稽に見えるのかもしれない。

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 帰り、途中で地下鉄が車両故障で止まってしまった。

 仕方ないから、地上に出た。
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 しばらく本屋をぶらついた後、普段はほとんど使わないJRで地上を走る。

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携帯音楽プレイヤー

 二〇〇六年 七月。



 携帯音楽プレイヤーを買った。それを持って出掛けた。

 イヤホンをしながら外を歩くと周囲の音が遮断されて落ち着かないし、歩く事に集中できない。

 電車の中でも、聞いてみた。ひとりで部屋でぼんやりしているように自分の世界に入り込んでいくようで、せっかく出掛けているのに勿体ない。



 東京都現代美術館の常設展を見た。

 この美術館の収蔵品の中では、前からウォーホルの「6枚組みの自画像」が好きだ。シルクスクリーンの質感と補色関係に近い色の配置が、頭がくらくらするほど好い。

 吉田克郎の「触」は、白い画面に黒鉛粉をなすりつけたものだ。なすりつけられた黒鉛粉から指の感触や動きをイメージさせる作品なのかと思った。しかし、なすりつけられた黒鉛粉はひとつの「塊」というか「形」に見えて、絵画性も確保しているようだ。むしろ、絵画として黒鉛粉の作る質感や形を見る方が面白い。



 イヤホンをしながら、清澄公園の方へぶらぶら歩いてみた。イヤホンからの音を聞きながら歩くと、やっぱり落ち着かない。

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他人の人生を覗く

 二〇〇六年 七月。


 吉原治良展            東京国立近代美術館


 吉原治良というと個人的には絵具の質感を前面に出して円を描いた作品の印象しかなかったが、初期の独特の雰囲気のある魚の静物画から、シュールレアリスム的な作品や戦中・戦後の彼の内面を反映したような暗示的な作品を経て、具体美術協会時代までの作品を年代順に見る事が出来た。

 回顧展でひとりの作家の表現の変遷を概観するのは、他人の人生を覗いているようで面白い。

 個人的には晩年の静かでミニマルな作品よりも、それより前の絵具の質感を前面に出した動きのある作品の方が好きだ。

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