2007年01月 | ARCHIVE-SELECT | 2007年03月

≫ EDIT

記録と記憶

 二〇〇六年 十二月二十二日。


 

 東京都現代美術館

 本当は大竹伸朗展を見るつもりだったが、時間がなくて常設展だけを見た。

 写真の下に写真を撮った場所と日付が書いてあるハミッシュ・フルトン「午後の濁った水 朝の澄んだ水」(1983)、「YUROK」(1980)。それと似た作品でリチャード・ロング「イングランド」(1968)。これらの作品は旅の記憶をそのまま作品にした感じで、自分の記憶でもないのに、何だか懐かしい気分になった。

 小沢剛の「地蔵建立」シリーズは世界各地を巡り写真を撮ったものだ。隅っこにちょこちょこっと地蔵の輪郭だけを描いた紙片が写っている。結局これもただ旅をして、その記録を作品にしたかっただけではないのかと思った。

 記憶や記録というテーマでは、河原温の「Today」シリーズも印象に残った。

 単色に塗られたカンヴァスに、白抜きで日付が描かれている。そして、カンヴァスの入れられている厚紙で出来た箱の内側には、その日の新聞の切り抜きが貼ってある。

 日付を見て自分はその頃何をしていたのだろうとか、まだ自分が生まれる前の日付でも、箱に貼られた新聞の切り抜きを見て、その日にはこんな事があったのかといろいろ想像したり、考えたりした。



 

 荒木珠奈「Caos Poetico(詩的な混沌)」(2005)。

 暗い部屋に電線が張り巡らされ、そこから中に豆電球の入った、さまざまな色と形の紙で作った家がぶら下がり、さまざまな色の光を発している。

 作者はメキシコで暮らした事があった。貧しい人々が暮らす街では住民たちが電線から勝手に自分の家に電線を引っ張ってきて、電気を使っていた。夜になると家々の灯りがキラキラと、とてもきれいだった。その記憶を元に、この作品を作ったという。

 部屋の隅の床にまだ家が置いてある。家をひとつ手に取り、何だか部屋の真中の方に家が偏っている気がしたから、わざと一番隅の垂れ下がったコンセントからその家をぶら下げておいた。





 06122200.jpg


ランキングに参加しています。下のバナーをクリックしていただけたら、ありがたいです。

|美術館・博物館 | 17:21 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

蓄積

 二〇〇六年 十二月。


 
 収功をすると、単に意識的に感覚を押し込んでいくような硬く痺れるような感覚とは違う、激しく明確な気感を感じるようになった。



 ヒーロー物っぽいアニメを見ながら、萎えきった今の自分はちょっとプレッシャーを掛けられただけで、動揺して崩れ落ちるだろうと思った。

 以前瞑想をしたのは、強い迷いやプレッシャーの中でも冷静さを失わないだけの集中力を得るためだったのだろう。



 スポーツ物のアニメを見ながら思った。
 
 夢を実現するためには、日々の努力が重要なのだろう。私ももっと本気にならなければ駄目だ。

 だが、そういう個体としての努力や能力だけが問題というわけでもないだろう。私の中には単なる個人的な思いつきや気紛れとは違う長い歴史の蓄積がある。

 それはこの文明の中で育つ中で無意識裡に私の意識に埋め込まれた人間の歴史の蓄積かもしれないし、それよりもずっと長く大きな時間の中で受け継がれてきた遺伝子が実現したこの肉体かもしれない。

 何にしても、個人という概念では割り切れない何か大きなものを自分の中に感じる。それが今まで自分を導いてきた。以前、自分は予め全てを知っているのではないかという全能感を感じたのも、この蓄積のせいだろう。

 その蓄積を上手く意識できれば、小賢しい目先だけの思いとは違う展開があるはずだ。

 そう考えると、一段階突き抜けたような静かな興奮を感じた。



 しかし、二〇〇〇年代初めの方向を見失ったような気分は何だったのか。

 

 子供の頃単なる予感でしかなかった私の中の巨大な力が、やがて肉体感覚を伴った具体的な感覚に変わったとき、一時期有頂天な気分になった。しかし、やがてそんなものは気分に過ぎないのではないかという疑念を感じるようになった。疑念を感じずに前に進めたわけでもないだろうし、「力」が具体的な感覚になったからといってその事によって具体的に何が出来るようになったわけでもないのだから当然だ。

 その後はかつて本気で瞑想に取り組んでいた自分を取り戻そうとした。或いは、一から自分を作り直さなければならないという考えに取り付かれた。

 結局全ては気分や感覚をいじくっているだけではないのかという疑念を抱きつつ、でも、気分や感覚を操作する事しか思いつかなかった。だから、なかなか本気にはなれず、全てが空回りした。

 概念的な事を考え始めると、これも知らなければならない、あれも知らなければならないときりがなくなって、一歩進むのにやたらと時間が掛かり、結局何もしていないのと同じになってしまう気がした。だから、感覚と概念を結びつける気にはなかなかなれなかった。

 恐らくかつての経験からある程度距離を取って、それを意識的に組み立てる必要があったのだろう。

ランキングに参加しています。下のバナーをクリックしていただけたら、ありがたいです。

|この身体、この精神 | 02:15 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

詩的な感覚とコンセプチュアルな想像力

 二〇〇六年 十二月。


 揺らぐ近代  日本画と洋画のはざまに           東京国立近代美術館


 日本画と洋画との関係から、日本の近代美術を見直そうという企画だ。

 幕末から明治初期にかけてはさまざまな試行錯誤があって、日本画と洋画というはっきりとした区分けがあったわけではない。屏風や掛け軸に油絵が描いてあったり、油絵なんだけど構図や題材は浮世絵そのものだったりする。逆に膠彩で西洋的な構図や遠近法や写実的な表現に挑戦している絵もあった。

 それが明治四十年に始まった文展で日本画、洋画、彫刻という区分で作品の募集が行われた事で、制度的に日本画、洋画という区分が固定化した。

 始めは技法に関する試行錯誤だった。というか、当時は日本人の生活の激変期であり、彭城貞徳の少年と少女がバイオリンと尺八を合奏している「和洋合奏之図(明治三十九年頃)」などを見ると、美術はその表れであると同時にその記録に見えた。過ぎ去った江戸への郷愁を感じさせる絵もあった。

 大正の頃になると段々こなれてきて、自分が何を表現したいのか、そのためにどのような技法を使うのか考えるようになるように見えた。

 大正期の日本画はクリアで鮮やかに見えて好きだと思った。特に速水御舟の金地に赤い果実が描かれた「茶碗と果実(大正十年)」と、小林古径の黒い器とリンゴが描かれた「静物(大正十一年)」が好かった。

 洋画家の日本画も展示してある。岸田劉生の細かい描き込みによるごつごつした質感の油絵も好きだが、「四季の果実図(大正十三年)」や「永日小閑(大正十五年)」といった日本画も明るく鮮やかで好いと思った。萬鉄五郎の「春夏秋冬図(大正十一年頃)」も素朴で明るい感じで好かった。

 今まで、西洋文明を受け入れる中でのあからさまな葛藤を示す洋画に比べて、日本画というのは東洋的な伝統の中で呑気にやってきたのだと思っていた。しかし、この企画展を見て、日本画にも洋画を意識しつつのさまざまな試行錯誤があった事を知った。

 後、企画の文脈とは関係ないが、荒木寛畝の「狸(制作年不詳)」の茶色く暗い画面の中の狸の毛並みの質感が印象に残った。それと梅原龍三郎の「城山(昭和十二年)」の日本画の影響を受けて岩絵具を混ぜたという油彩のざらざら、キラキラした質感が好かった。




 
 臨界をめぐる6つの試論


 北野謙の「our face」のシリーズ。

 背景も服装もぼやけていて、顔の表情だけはっきりしている。「東京のキャバクラ嬢29人を重ねた肖像(2002)」と「新潟アルビレックスチアリーダーズのチアリーダー17人を重ねた肖像(2003)」の顔がよく似ていて、最初同一人物かと思った。しかし、パンフレットの説明を見ると、「さまざまな集団に属する人々のポートレイトを撮影し、それらを正確に重ね合わせて焼き付けられた」ものだという事だ。

 「プロ野球福岡ダイエーホークスを応援する人々35人を重ねた肖像(2004)」と「ロックバンドPIERROTライブのオーディエンス45人を重ねた肖像(2004)」も似ていたが、ダイエーホークスを応援する人々の笑顔は底抜けに明るいが、RIERROTのオーディエンスの笑顔はどこか物憂い感じがした。


 
 写真というのは、単純にそこに写ったイメージの質感を楽しむものだと思っていた。

 「海と陸の際を撮影していくうちに、興味が海そのもの移り、ついに被写体である海の中に入っていった」という浅田暢夫の「海のある場所(1997−2005)」シリーズはうねる海面やその上で跳ねる雨滴や押し寄せる波の質感をイメージできる。そして、パリの郊外を撮影した小野規の「周縁からのフィールドワーク」はパリ郊外の雰囲気を想像しやすい。

 しかし、世界各地の街中の監視カメラを写した伊奈英次の「WATCH」は、「「見る/見られる」ことをめぐるシステム」がどうこう言われてもピンと来ない。

 身近な風景や部屋の写真にさまざまな色のラインが横に引いてある。その横にその写真とラインの関係を反転した、つまり、そのラインの色の地に横に長く圧縮された写真がラインのように入っているイメージがある。向後兼一の「within 10km of mine(2006)」シリーズの「line」は、デザイン的には美しいが「画像の操作によって変換されたそれらのイメージは、デジタルデータのあふれる環境を生きる私たちにとって、たしかに決して奇妙とは言い切れない、世界の見え方なのかもしれません」と言われても、そうかなぁという感じだ。(後で作者のサイトを見たら、作品が載せてあった。パソコンの画面の上で見た方がリアリティがある気がした)

 だが、これらの作品を見て、以前はそういうコンセプチュアルな作品を見ると、作者の世界の見方を共有しようと必死で自らの想像力をフル回転させようとした事を思い出した。

 最近の私は、芸術の本質は詩的な感覚だと思うようになっていた。詩的な感覚というのは、コンセプチュアルに思考をこねくり回すのとは違う。だから、写真も単純にそのイメージと質感を楽しもうとした。しかし、芸術には我々の日常の常識を、コンセプチュアルな形で揺さぶろうとする側面も明らかにある。

 詩的な感覚を表面的だとは言わないが、最近の私は作品の表面に表れたイメージや質感にばかりこだわり、いつしか作品の表面をなぞるようにパッパッとしか見なくなっていた。
 
 詩的な感覚とコンセプチュアルな想像力との関係について、考えてみようと思った。






06120800.jpg

06120801.jpg

06120802.jpg


 この前出掛けたときは全てが新鮮に見えたのに、この日は時間がたつにしたがって疲れるばかりだった。

ランキングに参加しています。下のバナーをクリックしていただけたら、ありがたいです。

|美術館・博物館 | 20:24 | comments:2 | trackbacks:3 | TOP↑

≫ EDIT

きょうフェルトは(BlogPet)

きょうフェルトは、匂いとかblogするはずだったの。
ここへ弘毅とここへblogしたかったみたい。


*このエントリは、BlogPet(ブログペット)の「フェルト」が書きました。


ランキングに参加しています。下のバナーをクリックしていただけたら、ありがたいです。

|ブログペット | 10:03 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

豚は人間の排泄物を食うのか?

 二〇〇六年 十一月。


 病院に行くために、久し振りに家の外に出た。外の空気の匂いも、電車の音も、何も彼もが新鮮に感じられる。前の日よく眠れなくて身体感覚は冴えないのに、気分だけはわくわくした。



 時間に余裕があると、帰りに近くの早稲田大学に寄る。

 以前図書館に使っていた建物が、博物館になっている。

 二階に上がるとかつて閲覧室として使われていた大きな部屋があり、そこに考古学的遺物や絵画や陶磁器が並んでいる。

 外は学生たちでごった返しているが、博物館の中は警備員がひとりぽつんと座っている以外は誰もいない。

 古代中国の明器がいくつも並んでいる。

 古代中国には人は死んだ後も、地下の世界で生前と同じ生活をするという考えがあった。そのために故人が生前に使っていた道具や家や家畜のミニチュアを木や土で作り、墓に埋める習慣があった。その木や土で作ったミニチュアを明器と言う。始皇帝の兵馬俑は、それを大規模化したものだといえる。

 その中に豚舎という漢代の明器(興味のある人はこちらのサイトで探してみてください)があった。

 豚舎の隣に階段があり、階段を上ったところに便所がある。便所の下には豚が頭を突っ込むための穴がある。豚は人間の排泄物を食べるのか?

ランキングに参加しています。下のバナーをクリックしていただけたら、ありがたいです。

|外出 | 01:12 | comments:2 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

地道な努力

 二〇〇六年 十一月。


 なかなか本格的に瞑想や気功をする気になれない。それで、せめて収功だけでもする事にした。

 以前は歩いていると、

 「これでいいんだっけ」

 「じゃあ、どうしたらいいんだ」

 「以前はどうだったっけ」

 ああでもない、こうでもない、と強迫的に自らの身体感覚にこだわった。しかし、最近は何となく自然と歩けている気がする。それで歩いているときの自然と歩くという行為に集中しているときの感じを思い出しつつ、足下に意識を持っていきながら生活する事にした。

 電車の中で軽く膝を曲げて、膝で揺れを吸収しながら立っているときの感じを思い出して、身体から力を抜いて足下に意識を持っていく。しかし、足下に意識を持っていくというのは単に力を抜いて足下を意識するというのではなくて、全身の感覚を足下に落とし込んでいく事のような気がしてきた。そして、その反動で背筋に力が込もり、背筋がピンと伸びる。

 しかし、何日かすると全身を意識する事が重荷に思えてきて、力んだ。だから、あまり思い詰めるのは止めて、再び身体の力を抜いてただ何となく足下に意識を持っていく事にした。

 やがてある日、意識を足下に押し込んでいくような感覚を得た。足が感覚ではちきれそうだった。




 その頃、英語の勉強もまだ続いていた。

 自分にはもう地道な努力というものは、出来ないのだと思っていた。勘だけを頼りに、一発逆転を狙うしかないと思っていた。しかし、地道で継続的な努力もまだ出来るのだと思うと、身体の中に熱を感じた。 

ランキングに参加しています。下のバナーをクリックしていただけたら、ありがたいです。

|この身体、この精神 | 01:47 | comments:2 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

全体像と空間認知と曼荼羅

 二〇〇六年 十月。


 病院の心理検査で、物事の全体像をまとめ上げたり、それに基づいて計画を立てて実行していく事が得意なようだと言われた。

 全体像を捉える能力や計画性というのは、空間認知と関係がある気がする。抽象的な思考を組み立てるときもどこか概念を頭の中で空間的に展開しているし、計画を立てるときは時間の流れを空間として見て、そこに行動を配置していく。

 以前周囲の空間の拡がりを感じようとする事に妙にこだわった事があった。それは私の常に全体を捉えようとする特性と関係があったのかもしれない。

 英語も勉強しようと思って、意識して英語で書かれたサイトも見るようになった。分からない単語をメモして、その単語を使って例文を考えて書くという事を延々と繰り返す。そうやって調べて、考えて、書いていると、目の前の行為に集中できている気がする。しかし、そうやって目の前の行為に集中する事と全体を見渡す感覚とは、どういう関係にあるのだろうか。

 そう考えて、ふと東京国立博物館で曼荼羅を見たときの感覚を思い出した。

 それは目の前の一点へと自分を駆り立てるような硬い感覚とは違う、全体的な拡がりを持った感覚だった。瞑想のときに感じる感覚に似ていた。目の前の一点に集中しているからこそ、全体が見える。全体を意識しているからこそ、目の前の一点に集中できる。

 この感覚だと思った。

 心理検査を受ける事には、最初抵抗を感じた。自分がどんな人間かなんて、よく分かっている。それに、自分という個体の性質がどうであるかよりも、「神」との関係性こそが重要だろう。「神」との関係性を意識して覚悟さえ決められれば、必要なものは自然と身につく。それに自分という個体の性質は、常に変化するものだ。

 しかし、自分について他人からどうこう言われているのを聞いているうちに、自分がどういう事に向いているかは分かっているがそれをどう実現していいか分からないという単に苛立った気分からは浮上できた。人間の個人的能力なんか、たかが知れている。そんなものに自信を持ったり、失望したりする事に意味があるとは思えない。しかし、自分がどうであるかという事を明確に意識する事は重要だ。自分の個体としての「性質」をコントロールするためには、この世界に存在するさまざまな対象と同等な意味で、それを対象化する必要がある事を思い出した。

ランキングに参加しています。下のバナーをクリックしていただけたら、ありがたいです。

|この身体、この精神 | 02:23 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

2007年01月 | ARCHIVE-SELECT | 2007年03月