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個人の自我

 二〇〇七年 四月六日。



 普段は二十世紀以降の美術を見ているのだが、一月にビル・ヴィオラ展を見て、ルネサンス美術に興味を持った私は国立西洋美術館に来た。






 イタリア・ルネサンスの版画            国立西洋美術館



 元々は銅版画というのは金細工師によって制作されていた。当時の人々なら誰でも知っているような出来事や神話の中のエピソードが描かれていて、特に作者独自のコンセプトというものはない。

 やがて作品に署名が入るようになり、歴史上の出来事や神話のエピソードをテーマにしながらも、さまざまな図像を組み合わせて作家独自の解釈で作品が作られるようになる。

 作品には細かい描線で、一見作品のテーマとは関係ないような動物や人物や小物が細かく描きこまれている。それらの物も当時の人々が見ればそれと分かる何らかの意味を担っているのだろうが、私にはさっぱり分からなかった。

 展示してある作品の作者としてはデューラーぐらいしか知らなかったし、そのデューラーの作品をまじまじと見るのも初めてだった。

 彼の描線は他の作家の作品と比べると生き生きしていて、彼の作品は別格に思えた。

 全体を見て、ヨーロッパの歴史には西暦一五〇〇年前後に何らかの境界があるようだった。日本でいえば、戦国時代だ。





 企画展の後、常設展を見た。

 ルネサンス期の絵画の背景の風景はどこかに実在する風景ではなく、作者の掲げるテーマを表現するために注意深くさまざまな図像を組み合わせて構築された架空の風景だ。

 しかし、十七世紀になるとこれといった象徴性の感じられない、日常の風景が描かれるようになる。何があったのか。

 十七世紀ぐらいの絵だろうか。書物を持った貴族の男性がこちらを見ている。説明パネルには、本というものはその内容と自分の人生を照らし合わせて読むものだというような事が書いてある。

 一般の民衆がどうであったかは分からないが、当時既に自立した個人の自我というものが確立していたのだと思った。知識欲に溢れた時代だったのだろう。

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私的な痕跡

 二〇〇七年 三月三十日。



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 MOTアニュアル2007 「等身大の約束」      東京都現代美術館





 千葉奈穂子や秋山さやかやしばたゆりといった、個人の人生や日常をテーマとした作品が気になった。



 

 千葉奈穂子の作品は、彼女の故郷の伝統技術である成島和紙に、日光写真の一種であるサイアノタイプという方法で、故郷である東北の衰えゆく農村の風景を青く焼き付けている。

 粗い粒子の写真が、ノスタルジックな雰囲気を醸し出している。



 

 半透明の布にプロジェクターで、深川の江戸時代の古地図と現代の地図が交互に映し出されている。作者は東京都現代美術館の地元である深川で作品製作のためにしばらく生活し、歩いたルートがさまざまな色の糸で縫い付けてられている。

 秋山さやかの「あるく  私の生活基本形 ―深川    2006年8月4日〜」(2007)だ。

 作者の日常の空間的拡がりと、江戸から現代への時間の流れが重なって面白い。





 しばたゆりの「Material Colors」シリーズは、作者個人と関係の深いもの、日常の中で接した物を粉末にして、それで絵具を作り、その粉末の元々の姿を描いた作品だ。

 それは、子供の頃に親に買って貰ったぬいぐるみだったり、どこかの猟師を訪ねたときに見た猪や鹿の毛皮や角だったり、かつて自らが描いた日本画を削って粉末にしてその絵の絵を描いたり、さまざまだ。

 まさに作者自身と人生の痕跡であり、記録だと思った。





 全神経を集中して自らの思考や感覚を目の前の作品に凝縮していくのとは違う、作品と個人の日常が互いに侵食し合っているような感じは何なのか。

 美術の概念の拡張なのか、それとも他に表現する事がないだけなのか。




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 帰り道、家まで歩きながら、何をどう感じるべきなのか考えた。

 考えながら、気感が身体の部分部分に織り込まれていく感覚を得た。

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