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ドイツ語

 二〇〇七年 四月。



 Second Life内で何をやろうというアイデアが浮かばず、結局無数に存在するカジノとクラブを渡り歩いていた。

 その日辿り着いたクラブは出来たばかりのようで、初めてのイベントをやるとドイツ人のオーナーが言っている。それで、私も参加する事にした。

 イベントといっても、音楽に合わせて踊っているだけだ。

 多分ネットラジオをそのまま流しているのだと思うが、日本のFM局から流れている曲と大差ない。エンターテイメントの世界のグローバル化を感じた。

 特に何か共同作業をしているわけでもなく、他愛のない事を喋りながら、ただ音楽に合わせて踊っているだけなのに、何だか打ち解けた気分になってくる。

 私には、誰かとカラオケや飲みに行った経験はない。しかし、そういう場所は特定の何かを話したり、行ったりするために行くのではなくて、仲間意識を作り出すために行くのかもしれないと思った。




 ドイツ語はもう十年くらい使っていない。しかし、英文を見てもただ面倒臭いとしか感じないのに、ドイツ語は何か思い入れでもあるのか、頭にすっと入ってくる気がする。だが、名詞の性や冠詞や形容詞の語尾変化があやふやになってしまっていて、自分からは話す気になれない。

 周りが喋るドイツ語に分からない部分があると、酷くもどかしい気分になる。また、ドイツ語を勉強してみようかと思った。しかし、そんな事をしている場合じゃない気もする。

 しかし、そもそも何でドイツ語なんて勉強していたのだろう。余程やる事が無かったのだろうか。

 しばらく考えて、思い出した。ドイツ観念論やらフロイトやらユングやらハイデッガーやらその他もろもろ読みたい本が、ドイツ語にたくさんあったからだ。しかし、当時は原書を読むだけの気力がなくて、ドイツ語を何年間か勉強した後、そのまま放置していた。




 周囲には数人のドイツ人とひとりの中国人がいる。気を使って私には英語で話し掛けてくれる。おかげでチャットウィンドウは、英語とドイツ語が入り乱れた。

 中国の人が今何時かと言い出した。時間とはどこの時間かという感じでおかしかった。やがて、彼女は仕事があるからと言って去っていった。



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|コンピュータ・ネット | 19:58 | comments:8 | trackbacks:0 | TOP↑

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外国語で構成された意識

 二〇〇七年 四月。



 Second Lifeをぶらついて驚いたのは、日本のサブカルチャーの浸透ぶりだ。

 Scond Lifeではいろいろな物を自分で自由にデザインして、売る事が出来る。あちこちで日本のアニメのコスチュームが売られている。MusashiだのSamuraiといった日本語の名前がついた土地もたくさんあるし、SakuraやMurasakiといったHNを名乗っている人もたくさんいる。

 Hidden Leaf villageという場所があって、何かと思ったら、NARUTOのキャラクターの格好をして闘う所だった。Hidden Leafというのは葉隠を英語にしたつもりか。

 そのような戦闘システムも全てユーザーが作ったものだ。



 
 日本人と欧米人ではアバターのデザインの傾向が明らかに違う。

 日本人は受け狙いのコミカルなアバターが多いが、欧米人はワイルドでごつい感じのアバターが多い。

 「何だか最近どんどん大きいアバターが増えてないか」

 「コンプレックスの表れだろう」

 どこかのCafeで、そんな会話を見た。

 アバターのデザインが本人の劣等感や不安を反映しているとしたら、日本人は他人からつまらない人間だと思われたくないと思っているし、欧米人は相手になめられる事を恐れているといったところか。



 
 最近ネットばかりして、雑学ばかりが増えた。それで何かクイズみたいなものはないかと探してみると、Trivia gameというものを見つけた。

 しかし、英語で細かい知識をつつき回されても、全然答えられない。

 母国語以外でクイズをすると難易度が上がる事を知った。

 多少ボキャブラリーを増やせば、多少ぎこちないとしても会話ぐらいは出来るようになるだろう。しかし、英語で何か知的な作業をしようと思ったら、日本語で構成された意識とは別の、英語で構成された意識を作る必要があるのかもしれない。

 そう考えると自分の意識を客観化する上で、外国語を学ぶというのは面白い事かもしれない。



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|コンピュータ・ネット | 18:26 | comments:4 | trackbacks:0 | TOP↑

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久し振りに瞑想

 二〇〇七年 四月。

 

 収功しかしていないのに、それすら面倒で仕方ない。

 「中途半端な事をしているからだ。ちゃんと瞑想しよう」

 そう思って、久し振りに瞑想をした。

 足を組むと反射的に身体に熱を感じた。さまざまな感覚が生じては消えていく。

 一通りの変化が終わると、感覚は静かになった。その時点で既に四十分ほど時間が過ぎていた。

 

 瞑想をしたからといって、何かが変わったようにも見えなかった。

 しかし、外に出て少し歩いてみると、収功の動作をしているときのような明確な感覚がある。ああだの、こうだの考えて自分を駆り立てなくても、自然と感覚をコントロール出来る感じだ。

 と言いつつ、家に帰ると、いつものようにちょっとした事ですぐに苛つくし、疲れるし、力む。



 次の日起きると、全身の感覚の密度が増している。

 収功しかしていないときは、収功をしないとこれといった感覚もなく単に手応えを求めて力む感じで、収功をすると現に目の前に感覚があって、それをああでもない、こうでもないといじくっている感じだなどと考えていた。

 しかし、今感じている感覚に比べると、目の前にあると思っていた感覚は全て部分的ですかすかな感覚だったように思える。



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|この身体、この精神 | 18:23 | comments:4 | trackbacks:0 | TOP↑

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