2007.08.19 Sun
写真と絵画
二〇〇七年 六月一六日。
マルレーネ・デュマス ― ブロークン・ホワイト 東京都現代美術館
最近コンセプチュアルな事ばかり考えて色や形や質感に対する感受性が薄れたのか、そもそもそんなものは初めから持っていなかったのか、それとも、彼女の作品は私が思っているほど単純な絵画作品ではないのか、ほとんどの作品は見ても何をどう感じていいのか分からなかった。或いは、彼女の作品独特の文法みたいなものがあって、私がそれに馴染んでいなかっただけかもしれない。
かろうじて、荒木経惟の写真作品をもとにした「ブロークン・ホワイト」(2006)だけが印象に残った。
もとになった荒木経惟の写真と「ブロークン・ホワイト」を何度も見比べた。
もとになった荒木経惟の写真の女性の表情は明確な性的恍惚を表しているが、デュマスの「ブロークン・ホワイト」の方は深い物思いに沈んでいるようにも、単に眠っているようにも見える。塗り重ねられた筆の跡の油絵具のざらざらした物質感から、作品に投影された作者のさまざまな思いを感じる。
写真は彫刻や絵画と違って、作者が作品に直接触れていじくる事が出来ない。だから、写真は何をどのような意図を持って写すかかが問題であり、非常にコンセプチュアルな表現であると感じた。
それに対して、絵画は目の前の作品を直接手でいじくりながら考え、考えながらいじくれる。だから、描きながら、そこにさまざまな思いを塗り込む事が出来る。
ランキングに参加しています。下のバナーをクリックしていただけたら、ありがたいです。
マルレーネ・デュマス ― ブロークン・ホワイト 東京都現代美術館
最近コンセプチュアルな事ばかり考えて色や形や質感に対する感受性が薄れたのか、そもそもそんなものは初めから持っていなかったのか、それとも、彼女の作品は私が思っているほど単純な絵画作品ではないのか、ほとんどの作品は見ても何をどう感じていいのか分からなかった。或いは、彼女の作品独特の文法みたいなものがあって、私がそれに馴染んでいなかっただけかもしれない。
かろうじて、荒木経惟の写真作品をもとにした「ブロークン・ホワイト」(2006)だけが印象に残った。
もとになった荒木経惟の写真と「ブロークン・ホワイト」を何度も見比べた。
もとになった荒木経惟の写真の女性の表情は明確な性的恍惚を表しているが、デュマスの「ブロークン・ホワイト」の方は深い物思いに沈んでいるようにも、単に眠っているようにも見える。塗り重ねられた筆の跡の油絵具のざらざらした物質感から、作品に投影された作者のさまざまな思いを感じる。
写真は彫刻や絵画と違って、作者が作品に直接触れていじくる事が出来ない。だから、写真は何をどのような意図を持って写すかかが問題であり、非常にコンセプチュアルな表現であると感じた。
それに対して、絵画は目の前の作品を直接手でいじくりながら考え、考えながらいじくれる。だから、描きながら、そこにさまざまな思いを塗り込む事が出来る。
ランキングに参加しています。下のバナーをクリックしていただけたら、ありがたいです。
|美術館・博物館 | 15:05 | comments:2 | trackbacks:0 | TOP↑



