2006.09.08 Fri
注意を外に向けろ
二〇〇六年 四月。
禅の修行では飯を食ったり、掃除をしたりという日常の行為を行うときも、その行為だけに集中して他の事は一切考えないようにすると誰かが言っていた。自分もそうしてみようと思った。
しかし、いざやってみようとすると、考えなければならない事が山ほどあるのに何も考えないという事が、とても勿体ない事に思えてすごく抵抗を感じた。だが、慣れてくると自然と目の前の事に集中できるようになった気もしてくる。気のせいか、集中力が上がって体調もよくなった。
だが、そんな状態も二、三日しか続かず、やがて疲れ果てた気分に支配された。気がつくとただぼんやりしている。駄目だこんな事ではと、集中しようとしてもただ力んでしまうだけだ。
ほかの事は考えずに目の前の事に集中するってどういう事だっけ。こんな感じか。あんな感じか。あれっ。あれっ。
考えれば考えるほど、ただ神経が擦り減っていく。しかし、考えようとしなければ、ただぼんやりしてしまう。どうしても自然に意識と身体を動かす事が出来ない。
ある日、気功関係のサイトを見ていると、特定のイメージに向かって自分をコントロールしようとするから力んでしまうのだ、特定のイメージを描くとその先に進めなくなってしまう、それに、大概間違った方向に進んでしまう、と書いてあった。自分はまさしくこれだと思った。自分自身ではなく、外部へ注意を向ける、そして、静かになる、静かにならなければ、周囲からの情報を受け取り難くなる、という事だ。
という事で、身体から力を抜いた。これでいいのかとか、こうでなければならないのではないかとか、考えるのは止めた。そうすると、苛ついたり、迷いを感じたときに出る力んで喉の奥をカクッと鳴らす癖が数日で消えた。
病院の帰り、駅に向かって歩いていた。
いつもは、歩くってこんな感じでいいんだっけ、それともああだっけ、こうだっけ、と強迫的な思考に嵌り込んでしまう。何を問題としてそんな事を考えているのか分からない。だから、当然いくら考えたって答は出ない。考えれば考えるほど、抜けられなくなる。
しかし、この日はそんな事気にしないで、自然に周囲の空間を感じながら、歩けている気がした。
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禅の修行では飯を食ったり、掃除をしたりという日常の行為を行うときも、その行為だけに集中して他の事は一切考えないようにすると誰かが言っていた。自分もそうしてみようと思った。
しかし、いざやってみようとすると、考えなければならない事が山ほどあるのに何も考えないという事が、とても勿体ない事に思えてすごく抵抗を感じた。だが、慣れてくると自然と目の前の事に集中できるようになった気もしてくる。気のせいか、集中力が上がって体調もよくなった。
だが、そんな状態も二、三日しか続かず、やがて疲れ果てた気分に支配された。気がつくとただぼんやりしている。駄目だこんな事ではと、集中しようとしてもただ力んでしまうだけだ。
ほかの事は考えずに目の前の事に集中するってどういう事だっけ。こんな感じか。あんな感じか。あれっ。あれっ。
考えれば考えるほど、ただ神経が擦り減っていく。しかし、考えようとしなければ、ただぼんやりしてしまう。どうしても自然に意識と身体を動かす事が出来ない。
ある日、気功関係のサイトを見ていると、特定のイメージに向かって自分をコントロールしようとするから力んでしまうのだ、特定のイメージを描くとその先に進めなくなってしまう、それに、大概間違った方向に進んでしまう、と書いてあった。自分はまさしくこれだと思った。自分自身ではなく、外部へ注意を向ける、そして、静かになる、静かにならなければ、周囲からの情報を受け取り難くなる、という事だ。
という事で、身体から力を抜いた。これでいいのかとか、こうでなければならないのではないかとか、考えるのは止めた。そうすると、苛ついたり、迷いを感じたときに出る力んで喉の奥をカクッと鳴らす癖が数日で消えた。
病院の帰り、駅に向かって歩いていた。
いつもは、歩くってこんな感じでいいんだっけ、それともああだっけ、こうだっけ、と強迫的な思考に嵌り込んでしまう。何を問題としてそんな事を考えているのか分からない。だから、当然いくら考えたって答は出ない。考えれば考えるほど、抜けられなくなる。
しかし、この日はそんな事気にしないで、自然に周囲の空間を感じながら、歩けている気がした。
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|この身体、この精神 | 23:38 | comments:7 | trackbacks:0 | TOP↑

