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全体像と空間認知と曼荼羅

 二〇〇六年 十月。


 病院の心理検査で、物事の全体像をまとめ上げたり、それに基づいて計画を立てて実行していく事が得意なようだと言われた。

 全体像を捉える能力や計画性というのは、空間認知と関係がある気がする。抽象的な思考を組み立てるときもどこか概念を頭の中で空間的に展開しているし、計画を立てるときは時間の流れを空間として見て、そこに行動を配置していく。

 以前周囲の空間の拡がりを感じようとする事に妙にこだわった事があった。それは私の常に全体を捉えようとする特性と関係があったのかもしれない。

 英語も勉強しようと思って、意識して英語で書かれたサイトも見るようになった。分からない単語をメモして、その単語を使って例文を考えて書くという事を延々と繰り返す。そうやって調べて、考えて、書いていると、目の前の行為に集中できている気がする。しかし、そうやって目の前の行為に集中する事と全体を見渡す感覚とは、どういう関係にあるのだろうか。

 そう考えて、ふと東京国立博物館で曼荼羅を見たときの感覚を思い出した。

 それは目の前の一点へと自分を駆り立てるような硬い感覚とは違う、全体的な拡がりを持った感覚だった。瞑想のときに感じる感覚に似ていた。目の前の一点に集中しているからこそ、全体が見える。全体を意識しているからこそ、目の前の一点に集中できる。

 この感覚だと思った。

 心理検査を受ける事には、最初抵抗を感じた。自分がどんな人間かなんて、よく分かっている。それに、自分という個体の性質がどうであるかよりも、「神」との関係性こそが重要だろう。「神」との関係性を意識して覚悟さえ決められれば、必要なものは自然と身につく。それに自分という個体の性質は、常に変化するものだ。

 しかし、自分について他人からどうこう言われているのを聞いているうちに、自分がどういう事に向いているかは分かっているがそれをどう実現していいか分からないという単に苛立った気分からは浮上できた。人間の個人的能力なんか、たかが知れている。そんなものに自信を持ったり、失望したりする事に意味があるとは思えない。しかし、自分がどうであるかという事を明確に意識する事は重要だ。自分の個体としての「性質」をコントロールするためには、この世界に存在するさまざまな対象と同等な意味で、それを対象化する必要がある事を思い出した。

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|この身体、この精神 | 02:23 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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