2007.03.03 Sat
量が質を生み出している
二〇〇六年 十二月二十四日。
大竹伸朗「全景」 東京都現代美術館
「スクラップブック」(1977−2005)
買ってきた画集や写真集の上に、広告や雑誌や新聞の切り抜きやらを、とにかく気になった物を、毎日貼り付けていく。
始めは気になった物をとりあえず貼り付けてみたという感じだが、年が経つにつれて、とにかく貼って貼って貼りまくってやるみたいな感じで、どんどんテンションが高くなっていく。
展覧会に来る前にとにかく毎日貼り付けるんだと大竹伸朗が言っているのを聞いて、やればそれでいいのかという疑念を感じた。しかし、実際に見てみると圧倒的な量が質を生み出している。
コラージュというのは本来の文脈から切り離した断片を組み合わせて新たな文脈を構築するものだと思うのだが、「スクラップブック」から感じるのは文脈というよりとにかくアグレッシブな雰囲気で、それが気持ち好かった。
展示空間は三階から地下二階まであるのだが、三階は漫画家を志していた少年時代から三十歳前後までの作品が展示してある。
デビュー以後の一部の作品以外は公開を前提として作っているわけではないから、一つひとつの作品の完成度は決して高くない。しかし、膨大な量の作品が上から下まで壁一面に展示されているのを見ると、表現者になるんだという強い意志と執念が滲み出ている。
最後の地下二階の展示空間は、最近の作品が展示してある。
日本各地を旅して描くという雑誌の連載で地方の温泉地にある風俗店の看板の「天国はすぐそこ」みたいな、パンフレットによると『「絶景」ならぬカッコ悪い「絶句景」』を描いた「日本景」(1995−2000)にしても、東京出身の彼の原風景である立ち並ぶビルを描いたBLDG. にしても、単に既にある物や自らの内面を描いている気がした。若い頃の何かを生み出そうという試行錯誤のエネルギーが減退して、関心が後ろ向きに感じた。
結局、毎日行っているという「スクラップブック」が、彼の表現の本質なのだろう。自分の気になったものを加工して、作品として吐き出す。
自分の経験した現実を自分の中で再構築して表現として吐き出すというのが、芸術という行為の本質だと思った。
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大竹伸朗「全景」 東京都現代美術館
「スクラップブック」(1977−2005)
買ってきた画集や写真集の上に、広告や雑誌や新聞の切り抜きやらを、とにかく気になった物を、毎日貼り付けていく。
始めは気になった物をとりあえず貼り付けてみたという感じだが、年が経つにつれて、とにかく貼って貼って貼りまくってやるみたいな感じで、どんどんテンションが高くなっていく。
展覧会に来る前にとにかく毎日貼り付けるんだと大竹伸朗が言っているのを聞いて、やればそれでいいのかという疑念を感じた。しかし、実際に見てみると圧倒的な量が質を生み出している。
コラージュというのは本来の文脈から切り離した断片を組み合わせて新たな文脈を構築するものだと思うのだが、「スクラップブック」から感じるのは文脈というよりとにかくアグレッシブな雰囲気で、それが気持ち好かった。
展示空間は三階から地下二階まであるのだが、三階は漫画家を志していた少年時代から三十歳前後までの作品が展示してある。
デビュー以後の一部の作品以外は公開を前提として作っているわけではないから、一つひとつの作品の完成度は決して高くない。しかし、膨大な量の作品が上から下まで壁一面に展示されているのを見ると、表現者になるんだという強い意志と執念が滲み出ている。
最後の地下二階の展示空間は、最近の作品が展示してある。
日本各地を旅して描くという雑誌の連載で地方の温泉地にある風俗店の看板の「天国はすぐそこ」みたいな、パンフレットによると『「絶景」ならぬカッコ悪い「絶句景」』を描いた「日本景」(1995−2000)にしても、東京出身の彼の原風景である立ち並ぶビルを描いたBLDG. にしても、単に既にある物や自らの内面を描いている気がした。若い頃の何かを生み出そうという試行錯誤のエネルギーが減退して、関心が後ろ向きに感じた。
結局、毎日行っているという「スクラップブック」が、彼の表現の本質なのだろう。自分の気になったものを加工して、作品として吐き出す。
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|美術館・博物館 | 04:41 | comments:4 | trackbacks:0 | TOP↑

