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変化の蓄積

 二〇〇七年 一月五日。



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 ビル・ヴィオラ: はつゆめ         森美術館



 「クロッシング」(1996)

 暗い部屋の真中にスクリーンがあり、その表裏両面に映像が映し出されている。

 薄暗い空間の中を向こうから、白いズボンと淡い青色のワイシャツを着た男性が歩いてくる。

 カメラの前で立ち止まると、足下から少しずつ炎が上がり、やがて全身が炎に包まれる。スクリーンの反対側の映像では、上から水が落ちてくる。炎と水の勢いが激しくなるにつれ、やがて男性の姿は見えなくっていく。

 そのうち炎と水の勢いが収まると男性の姿は消えていて、何もない空間だけが残っている。

 清冽な印象の作品だった。



 「ベール」(1995)

 部屋が暗く、下手に動くと他の観客にぶつかりそうで、思うように動けない。それで始めなかなか作品の全体の構造が分からなかった。

 何とか作品の周囲を一周して、やっと全体の構造が分かった。

 半透明の布が、面を平行にして縦方向に並んでいる。その布の列に向かって前後両方向から、映像が投射されている。ひとつは夜の暗い森の中を男性がこちらに向かって歩いてくる映像、もう一つは同じように暗い森を女性が歩いてくる映像。

 映像は布の連なりの中で拡散し、曖昧になっていく。布の列の真中で二つの映像は重なるが、もはや映像はぼやけて何だか分からないただの光の束になっている。

 意味深だが、単純に美しい作品だと思った。



 「ストッピングマインド」(1991)

 前後左右にスクリーンがある。スクリーンには草原や街中の静止した映像が映っている。それが、時折数秒だけ轟音と共に動く。四つのスクリーンに囲まれた中央に立つと、天井から呪文のような早口の囁き声が聞こえる。

 我々の意識は記憶や感情を留めようとするが、現実は常に変化し続ける。思考の流れを止めてはならない。そのような事が禅に関する本に書かれていて、そこからインスピレーションを得て作った作品だという。

 私も気がつくとこうでなくてはならないのではないかという型にいつの間にか自分を嵌め込もうとしていて、もっと変化の流れというものに自覚的になるべきではないのかという考えとの間に葛藤を常に感じている。



 ここまでは、八十年代に日本に滞在したときの経験を元に作った作品だった。

 やがて、彼は人間の感情をどう表現するかという事に関心を持つようになる。そして、後期ルネサンスのマニエリスムの絵画を研究するようになる。

 そして、プロの俳優に演技をさせて、それを超スローモーションで撮影するようになる。そうする事で、俳優の感情表現は過剰に誇張される。



 「グリーティング」(1995)

 まず二人の女性が話をしている。そこに片方の女性の知り合いの女性がたまたま通り掛かり、挨拶を交わした後、もう一方の女性に紹介するという四十数秒の場面を十数分に引き延ばした作品。

 知り合いの女性が向こうからやってくる事に気づいた片方の女性は、何かとんでもないものでも発見したかのような驚きの表情をする。やがてそれは笑顔に変わり、抱擁を交わす。それを見ているもう一方の女性は「この人誰?」というような冷めた不満げな、そしてどこか不安げな表情を浮かべている。やがて、女性を紹介されると安心して和らいだ表情に戻る。

 片方の女性がもう一方の女性に知り合いを紹介するだけの場面が、極度に引き延ばされる事で表情の変化が過剰に強調され、劇的な場面になる。



 続く展示室には、壁にいくつもの液晶ディスプレイが並んで掛けてある。ちょっと見た感じでは美術館の展示室によくある光景に見える。つまり、液晶ディスプレイが壁に掛けられた絵画のようだ。しかし、実際には画面の中では怒りや悲しみなどを表現した俳優の超スローモーション映像が少しずつ動いている。

 研究熱心なのは分かるが、実験的な作品という感じで一つひとつの作品の完成度はそれほど高いとは思えなかった。それとも、この展示空間全体がひとつのインスタレーションという事なのだろうか。



 「ラフト/漂流」(2004)

 年齢も人種も性別もばらばらな十数人の人物が、画面の中に立っている。朝の駅のホームの光景のように、冷めた不機嫌そうな顔で何かを待っているようにも見える。

 そこに突然四方から、大量の水が凄い勢いで浴びせかけられる。ひっくり返ってもがく者もいれば、水の勢いに必死に抗している者もいる。

 やがて、放水は止まる。それに対する反応もさまざまだ。茫然とする者、泣き崩れる者、倒れている者を助け起こそうとする者。

 この作品も一分数十秒の場面を十数分に引き延ばしたものだ。

 この作品は作者の父の死の影響の元に作られた。

 この前の展示空間での実験と研究が、この作品でひとつの完成を見たのかと思った。





 「ミレニアムの5天使」(2001)

 大きな暗い展示室に五つのスクリーンがあり、それぞれに違ったアングルと色の光の中で、水に飛び込む人物を映した逆回しの超スローモーション映像が映し出されている。

 ほとんどの時間は空気の泡が光を反射しながら、たゆたっているだけだ。やがて、泡は水面の一点に集中し始め、水面は波立つ。そのうち人の姿が現れ,水面から飛び出していく。

 人物の浮上は五つのスクリーン上で時間差を持って行われる。劇的な変化の予感を孕みながら、水面が泡立ち、波打ち始めると、そのスクリーンの前に観客は集まり始める。他のスクリーンは、何の変化もないような、ただキラキラと泡が浮遊する映像を映し続けている。

 暗い展示室の中でその様子を眺めながら、目に見えない変化は常に生じていて、その変化の蓄積がある一定の量を超えたとき、一気に劇的な形でそれは表面に現れるのだ、そんな事を思った。

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