2007.06.27 Wed
個人の自我
二〇〇七年 四月六日。
普段は二十世紀以降の美術を見ているのだが、一月にビル・ヴィオラ展を見て、ルネサンス美術に興味を持った私は国立西洋美術館に来た。
イタリア・ルネサンスの版画 国立西洋美術館
元々は銅版画というのは金細工師によって制作されていた。当時の人々なら誰でも知っているような出来事や神話の中のエピソードが描かれていて、特に作者独自のコンセプトというものはない。
やがて作品に署名が入るようになり、歴史上の出来事や神話のエピソードをテーマにしながらも、さまざまな図像を組み合わせて作家独自の解釈で作品が作られるようになる。
作品には細かい描線で、一見作品のテーマとは関係ないような動物や人物や小物が細かく描きこまれている。それらの物も当時の人々が見ればそれと分かる何らかの意味を担っているのだろうが、私にはさっぱり分からなかった。
展示してある作品の作者としてはデューラーぐらいしか知らなかったし、そのデューラーの作品をまじまじと見るのも初めてだった。
彼の描線は他の作家の作品と比べると生き生きしていて、彼の作品は別格に思えた。
全体を見て、ヨーロッパの歴史には西暦一五〇〇年前後に何らかの境界があるようだった。日本でいえば、戦国時代だ。
企画展の後、常設展を見た。
ルネサンス期の絵画の背景の風景はどこかに実在する風景ではなく、作者の掲げるテーマを表現するために注意深くさまざまな図像を組み合わせて構築された架空の風景だ。
しかし、十七世紀になるとこれといった象徴性の感じられない、日常の風景が描かれるようになる。何があったのか。
十七世紀ぐらいの絵だろうか。書物を持った貴族の男性がこちらを見ている。説明パネルには、本というものはその内容と自分の人生を照らし合わせて読むものだというような事が書いてある。
一般の民衆がどうであったかは分からないが、当時既に自立した個人の自我というものが確立していたのだと思った。知識欲に溢れた時代だったのだろう。
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普段は二十世紀以降の美術を見ているのだが、一月にビル・ヴィオラ展を見て、ルネサンス美術に興味を持った私は国立西洋美術館に来た。
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元々は銅版画というのは金細工師によって制作されていた。当時の人々なら誰でも知っているような出来事や神話の中のエピソードが描かれていて、特に作者独自のコンセプトというものはない。
やがて作品に署名が入るようになり、歴史上の出来事や神話のエピソードをテーマにしながらも、さまざまな図像を組み合わせて作家独自の解釈で作品が作られるようになる。
作品には細かい描線で、一見作品のテーマとは関係ないような動物や人物や小物が細かく描きこまれている。それらの物も当時の人々が見ればそれと分かる何らかの意味を担っているのだろうが、私にはさっぱり分からなかった。
展示してある作品の作者としてはデューラーぐらいしか知らなかったし、そのデューラーの作品をまじまじと見るのも初めてだった。
彼の描線は他の作家の作品と比べると生き生きしていて、彼の作品は別格に思えた。
全体を見て、ヨーロッパの歴史には西暦一五〇〇年前後に何らかの境界があるようだった。日本でいえば、戦国時代だ。
企画展の後、常設展を見た。
ルネサンス期の絵画の背景の風景はどこかに実在する風景ではなく、作者の掲げるテーマを表現するために注意深くさまざまな図像を組み合わせて構築された架空の風景だ。
しかし、十七世紀になるとこれといった象徴性の感じられない、日常の風景が描かれるようになる。何があったのか。
十七世紀ぐらいの絵だろうか。書物を持った貴族の男性がこちらを見ている。説明パネルには、本というものはその内容と自分の人生を照らし合わせて読むものだというような事が書いてある。
一般の民衆がどうであったかは分からないが、当時既に自立した個人の自我というものが確立していたのだと思った。知識欲に溢れた時代だったのだろう。
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|美術館・博物館 | 02:19 | comments:2 | trackbacks:0 | TOP↑

