2005.10.19 Wed
縄文と弥生
二〇〇五年 八月二十六日。
数日前、毎日自分は何をしているのだろうと思うと恥ずかしくなって、無駄な行為はどんどん切り捨てていくべきだと考えたのに、目が覚めると「まあ好いや」という何だか気が抜けた気分だった。
駅まで歩いた。
駅に着くといつもの身体感覚に強迫的になっているのとは違う、力の抜けた周囲の空間の拡がりを自然に感じられている晴れ晴れとした気分になっていた。こんな気分は久し振りだ。だが、こんなぼんやりした曖昧な気分に身を委ねていて好いのだろうか。それとも、普段があまりにもいろいろな事を気にし過ぎなのであって、この拡がりのある感覚が本来なのか。
地下鉄の中でも、ずっと考えていた。
以前は、ずっとこんな気分だったのか。子供の頃はどうだったのか。しかし、蘇ってくる記憶は一面的で、過去の自分を全体としてはどうしてもイメージの中に再現する事は出来なかった。
上野に着く頃には、さっきの晴れ晴れした気分はすっかり消え去り、何だか疲れていた。
「縄文 VS 弥生」展 国立科学博物館(東京都台東区上野公園 7-20)
弥生式土器の実用的でシンプルなデザインに比べて、縄文式土器はごてごてとやたら模様や飾りがついている。縄文人はよほど暇だったのか。
しばらくするとこの展覧会を企画した研究者がやってきて、展示の前で説明を始めた。他の来場者と一緒に、それを聞いた。
縄文人は犬を家族同様に丁寧に埋葬したが、大陸から犬食を持ち込んだ弥生の遺跡から出てくる犬の骨には解体痕があり、弥生人は犬をペットではなく食料と見ていた事が分かる。さっきの研究者によると、犬食は戦国時代ぐらいまで続いたそうだ。韓国に犬食文化があるというのは聞いた事があったが、日本にもそれがあった事に驚いた。
縄文人と弥生人の骨が比較展示してある。弥生人の骨がつるんとしているのに比べて、縄文人のそれはごつごつしていて特に足の骨の後ろに出っ張りがあり、そこに大きく発達した筋肉が付着していたという。同じ人間でも、生活の仕方でこんなに骨格に変化が生じるものなのか。
縄文時代の二十歳前後のポリオの女性の骨がある。その年齢まで周りの人の介護を受けながら生きていたという事だ。縄文の狩猟採集生活というと厳しいサバイバル生活というイメージだが、案外皆仲好く助け合って生きていたのかもしれない。
縄文の女性の骨盤が並べてある。その全てに妊娠痕がある。縄文の女性の骨盤で妊娠痕のない物は見つかった事がないという。つまり、当時は妊娠できる年齢に達した女性は全員妊娠を経験しているという社会だったという事だ。
当時夫婦という観念はあったのだろうか。それともニホンザルの群れのように、集落全体が家族であって、その中でセックスは自由に行われていて、母子の関係は特定できても父子の関係は特定できず、子供は夫婦の子供というより集落全体の子供という感じだったのだろうかと、後から思った。
最後に縄文の終わりに高知県に二十五キロ離れて同時に存在した、縄文と弥生の村についての展示があった。
その縄文の村は弥生の影響を受けて農耕を始めていたが、祭りに使う道具は縄文式を守っていた。
最新の放射性炭素年代測定によると、弥生時代の始まりが約五百年早まる可能性があるという。始め人口の一割だった弥生人が今までは三百年で日本の人口の九割になったという事になっていたが、弥生時代の始まりが五百年早まると人口比の逆転が八百年かけてゆっくりと進んだ事になる。三百年で急激な人口比の逆転が生じたとすると大陸から渡来系弥生人がどんどん渡ってきて、縄文人を駆逐していったというイメージになるが、人口比の逆転が八百年かけて行われたとすると、狩猟採集社会よりも稲作農耕社会の方が人口増加率が高くなるから、それだけの時間があれば大陸から渡ってきた人たちの数が少なくても十分人口比の逆転が起こりうるという。
実際、弥生人同士の土地や水を巡る争いの跡はあっても、縄文人と弥生人の争った跡は見つかってないという。そもそも、縄文人は森や海の近くに住んでいたし、弥生人はそれまであまり人の住んでいなかった川の下流の平野に田畑を作って住んでいた。
そして、弥生式の村に百パーセント渡来系弥生人が住んでいたわけでも、縄文式の村に縄文的な身体的特徴をもった人たちだけが住んでいたわけでもない。弥生の村の跡から縄文人の身体的特徴をもつ人骨は出てくるし、縄文の村から渡来系弥生人の身体的特徴をもつ人骨が出てきたりする。
どうやら、縄文式の社会と弥生式の社会は互いに影響を与え合いながら、全体としては狩猟採集社会から稲作農耕社会へ変わっていったようだ。縄文と弥生の文化が具体的にどのように融合し現在の日本文化に繋がっていったかについては、まだよく分からないようだ。
あと、ポスターの縄文と弥生の少女の写真の縄文の方の少女の顔は全然縄文の顔ではないと、研究者の人が言っていた。どうしても適当なモデルが見つからなくて、ああなったという。ゴルフの宮里藍が、縄文的な特徴をもった顔だそうだ。







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数日前、毎日自分は何をしているのだろうと思うと恥ずかしくなって、無駄な行為はどんどん切り捨てていくべきだと考えたのに、目が覚めると「まあ好いや」という何だか気が抜けた気分だった。
駅まで歩いた。
駅に着くといつもの身体感覚に強迫的になっているのとは違う、力の抜けた周囲の空間の拡がりを自然に感じられている晴れ晴れとした気分になっていた。こんな気分は久し振りだ。だが、こんなぼんやりした曖昧な気分に身を委ねていて好いのだろうか。それとも、普段があまりにもいろいろな事を気にし過ぎなのであって、この拡がりのある感覚が本来なのか。
地下鉄の中でも、ずっと考えていた。
以前は、ずっとこんな気分だったのか。子供の頃はどうだったのか。しかし、蘇ってくる記憶は一面的で、過去の自分を全体としてはどうしてもイメージの中に再現する事は出来なかった。
上野に着く頃には、さっきの晴れ晴れした気分はすっかり消え去り、何だか疲れていた。
「縄文 VS 弥生」展 国立科学博物館(東京都台東区上野公園 7-20)
弥生式土器の実用的でシンプルなデザインに比べて、縄文式土器はごてごてとやたら模様や飾りがついている。縄文人はよほど暇だったのか。
しばらくするとこの展覧会を企画した研究者がやってきて、展示の前で説明を始めた。他の来場者と一緒に、それを聞いた。
縄文人は犬を家族同様に丁寧に埋葬したが、大陸から犬食を持ち込んだ弥生の遺跡から出てくる犬の骨には解体痕があり、弥生人は犬をペットではなく食料と見ていた事が分かる。さっきの研究者によると、犬食は戦国時代ぐらいまで続いたそうだ。韓国に犬食文化があるというのは聞いた事があったが、日本にもそれがあった事に驚いた。
縄文人と弥生人の骨が比較展示してある。弥生人の骨がつるんとしているのに比べて、縄文人のそれはごつごつしていて特に足の骨の後ろに出っ張りがあり、そこに大きく発達した筋肉が付着していたという。同じ人間でも、生活の仕方でこんなに骨格に変化が生じるものなのか。
縄文時代の二十歳前後のポリオの女性の骨がある。その年齢まで周りの人の介護を受けながら生きていたという事だ。縄文の狩猟採集生活というと厳しいサバイバル生活というイメージだが、案外皆仲好く助け合って生きていたのかもしれない。
縄文の女性の骨盤が並べてある。その全てに妊娠痕がある。縄文の女性の骨盤で妊娠痕のない物は見つかった事がないという。つまり、当時は妊娠できる年齢に達した女性は全員妊娠を経験しているという社会だったという事だ。
当時夫婦という観念はあったのだろうか。それともニホンザルの群れのように、集落全体が家族であって、その中でセックスは自由に行われていて、母子の関係は特定できても父子の関係は特定できず、子供は夫婦の子供というより集落全体の子供という感じだったのだろうかと、後から思った。
最後に縄文の終わりに高知県に二十五キロ離れて同時に存在した、縄文と弥生の村についての展示があった。
その縄文の村は弥生の影響を受けて農耕を始めていたが、祭りに使う道具は縄文式を守っていた。
最新の放射性炭素年代測定によると、弥生時代の始まりが約五百年早まる可能性があるという。始め人口の一割だった弥生人が今までは三百年で日本の人口の九割になったという事になっていたが、弥生時代の始まりが五百年早まると人口比の逆転が八百年かけてゆっくりと進んだ事になる。三百年で急激な人口比の逆転が生じたとすると大陸から渡来系弥生人がどんどん渡ってきて、縄文人を駆逐していったというイメージになるが、人口比の逆転が八百年かけて行われたとすると、狩猟採集社会よりも稲作農耕社会の方が人口増加率が高くなるから、それだけの時間があれば大陸から渡ってきた人たちの数が少なくても十分人口比の逆転が起こりうるという。
実際、弥生人同士の土地や水を巡る争いの跡はあっても、縄文人と弥生人の争った跡は見つかってないという。そもそも、縄文人は森や海の近くに住んでいたし、弥生人はそれまであまり人の住んでいなかった川の下流の平野に田畑を作って住んでいた。
そして、弥生式の村に百パーセント渡来系弥生人が住んでいたわけでも、縄文式の村に縄文的な身体的特徴をもった人たちだけが住んでいたわけでもない。弥生の村の跡から縄文人の身体的特徴をもつ人骨は出てくるし、縄文の村から渡来系弥生人の身体的特徴をもつ人骨が出てきたりする。
どうやら、縄文式の社会と弥生式の社会は互いに影響を与え合いながら、全体としては狩猟採集社会から稲作農耕社会へ変わっていったようだ。縄文と弥生の文化が具体的にどのように融合し現在の日本文化に繋がっていったかについては、まだよく分からないようだ。
あと、ポスターの縄文と弥生の少女の写真の縄文の方の少女の顔は全然縄文の顔ではないと、研究者の人が言っていた。どうしても適当なモデルが見つからなくて、ああなったという。ゴルフの宮里藍が、縄文的な特徴をもった顔だそうだ。







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|美術館・博物館 | 20:13 | comments:7 | trackbacks:0 | TOP↑

