2005.07.17 Sun
具体性としての自分の姿
二〇〇五年 三月。
新日曜美術館で速水御舟という日本画家を取り上げていた。彼は人間が出来ていなければ好い絵は描けないと、禅寺で修行したりしていた。
最近は自分がどうあるかとか、どうありたいかという事よりも、一瞬一瞬に全力を尽くす意志こそが重要だと考えていた。しかし、御舟の姿を見て、どうあるかという具体性も必要だと思った。具体的な現実の中での格闘によってこそ、意志は獲得できるからだ。具体的な現実の細部に無限に意識を集中し、その結果として具体的現実としての自分の姿がある。
以前は瞑想しなければ何も出来ないとか、瞑想すれば特別な自分になれるとか、瞑想に対して過剰な期待を抱いていた。それで、それが重荷で仕方なかった。だが、実際には瞑想しなければ何も出来ないわけでもなければ、何か特別な力を得るために瞑想するわけでもない。今なら、もっと自然な形で自分を造り直せるかもしれないし、そうすべきだ。
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以前は瞑想しなければ何も出来ないとか、瞑想すれば特別な自分になれるとか、瞑想に対して過剰な期待を抱いていた。それで、それが重荷で仕方なかった。だが、実際には瞑想しなければ何も出来ないわけでもなければ、何か特別な力を得るために瞑想するわけでもない。今なら、もっと自然な形で自分を造り直せるかもしれないし、そうすべきだ。
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|この身体、この精神 | 17:55 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

