2006.01.15 Sun
写真展
二〇〇五年 十一月。
この日は病院の予約が午前中で、何とか午前中に家を出た。家にいるときは何をするのもあんなに苦痛なのに、午前中に出掛けるといつもより楽に意識を集中して、余計な事は考えずに目の前の事に集中できる気がする、と地下鉄の中で考えた。
病院からすぐに家に帰るつもりだったが、このまま美術館に行った方が効率的だと考えて、国立近代美術館に向かった。
「ドイツ写真の現在」展 東京国立近代美術館
写真展は、さらっと気楽に見れた。写真はあまり詳しくないから、作品を見てどう考えて好いか分からなかったが、アンドレアス・グレスキーの、パンフレットによれば「スペクタクル」な作品が好きだと思った。
そもそも写真とは、何なんだろう。もの派の作品のように、そこに写る物質の質感と存在感を楽しむものなのか。表現として多様だから、そこに写る雰囲気を楽しんでも好いだろうし、写真をひとつの痕跡としてその背後に意味を探るのも好いだろう。
「アウグスト・ザンダー」展
たくさんの肖像写真がどこまでも展示室の壁に張り付けられ、それは、農民、職人、女性、階級と職業、芸術家、都市、というグループに分類されている。「農民という土地と結びついた人間から出発し、あらゆる階層と職業の中を、もっとも高度な文明を代表する人々へと上昇したのち、再び下降して愚者へと読者を案内する」というように、これはザンダーから見たワイマール共和国時代のドイツ社会を表現したものだ。
自分たち芸術家が「もっとも高度な文明を代表する人々」であるとは、芸術家というのは随分と自意識が強いものだと、ふと思った。とはいっても、私も芸術は最も高度な文明を代表すると思わなくもないが。
この頃(一九二〇年代)、それまで絵画の影響下にあった写真が独自の表現を模索し始めた事を知った。
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この日は病院の予約が午前中で、何とか午前中に家を出た。家にいるときは何をするのもあんなに苦痛なのに、午前中に出掛けるといつもより楽に意識を集中して、余計な事は考えずに目の前の事に集中できる気がする、と地下鉄の中で考えた。
病院からすぐに家に帰るつもりだったが、このまま美術館に行った方が効率的だと考えて、国立近代美術館に向かった。
「ドイツ写真の現在」展 東京国立近代美術館
写真展は、さらっと気楽に見れた。写真はあまり詳しくないから、作品を見てどう考えて好いか分からなかったが、アンドレアス・グレスキーの、パンフレットによれば「スペクタクル」な作品が好きだと思った。
そもそも写真とは、何なんだろう。もの派の作品のように、そこに写る物質の質感と存在感を楽しむものなのか。表現として多様だから、そこに写る雰囲気を楽しんでも好いだろうし、写真をひとつの痕跡としてその背後に意味を探るのも好いだろう。
「アウグスト・ザンダー」展
たくさんの肖像写真がどこまでも展示室の壁に張り付けられ、それは、農民、職人、女性、階級と職業、芸術家、都市、というグループに分類されている。「農民という土地と結びついた人間から出発し、あらゆる階層と職業の中を、もっとも高度な文明を代表する人々へと上昇したのち、再び下降して愚者へと読者を案内する」というように、これはザンダーから見たワイマール共和国時代のドイツ社会を表現したものだ。
自分たち芸術家が「もっとも高度な文明を代表する人々」であるとは、芸術家というのは随分と自意識が強いものだと、ふと思った。とはいっても、私も芸術は最も高度な文明を代表すると思わなくもないが。
この頃(一九二〇年代)、それまで絵画の影響下にあった写真が独自の表現を模索し始めた事を知った。
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|美術館・博物館 | 00:45 | comments:4 | trackbacks:0 | TOP↑

