2006.03.14 Tue
過剰な思考
二〇〇六年 一月。
日常の一つひとつの行為が面倒で、苦痛で仕方ない。気持ち次第だとか思っていたが、日常生活すら死に物狂いにならなければ出来ないのでは、疲れ果てて死んでしまう。
病気になれば普通は何とか病気になる前の状態に戻ろうとするものだが、病に陥った事がそれまでの生き方や考え方の必然のように思えて、自分を病気に追い込むような自分に戻る事に不安を感じてしまう。それで、以前とは違う自分を一から造り直さなければならないと常にどこかで考えている。それは、寝たり、起きたり、立ったり、歩いたりといった普通何気なく行う人間としての基本的な行為から、という事だ。その過剰な思考が、私の日常を面倒な事にしているのかもれない。
よく考えてみれば、病気になる前の自分とは全然違う自分になってしまっているわけで、もう以前の自分には戻れないし、同じ事を同じ方法でやったとしても全く違う結果と意味が生じるのかもしれない。
それに、取り組むべき課題が見えているときというのは、その課題を解決する事だけに集中していて、過去や未来の事にこだわったりしない気がする。その課題をこなさなければストーリーは前に進まないし、一瞬一瞬に全力を尽くしていればそうそう失敗するものではない。仮に失敗したところで、統制可能な範囲に収まるはずだ。
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日常の一つひとつの行為が面倒で、苦痛で仕方ない。気持ち次第だとか思っていたが、日常生活すら死に物狂いにならなければ出来ないのでは、疲れ果てて死んでしまう。
病気になれば普通は何とか病気になる前の状態に戻ろうとするものだが、病に陥った事がそれまでの生き方や考え方の必然のように思えて、自分を病気に追い込むような自分に戻る事に不安を感じてしまう。それで、以前とは違う自分を一から造り直さなければならないと常にどこかで考えている。それは、寝たり、起きたり、立ったり、歩いたりといった普通何気なく行う人間としての基本的な行為から、という事だ。その過剰な思考が、私の日常を面倒な事にしているのかもれない。
よく考えてみれば、病気になる前の自分とは全然違う自分になってしまっているわけで、もう以前の自分には戻れないし、同じ事を同じ方法でやったとしても全く違う結果と意味が生じるのかもしれない。
それに、取り組むべき課題が見えているときというのは、その課題を解決する事だけに集中していて、過去や未来の事にこだわったりしない気がする。その課題をこなさなければストーリーは前に進まないし、一瞬一瞬に全力を尽くしていればそうそう失敗するものではない。仮に失敗したところで、統制可能な範囲に収まるはずだ。
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|この身体、この精神 | 01:00 | comments:2 | trackbacks:0 | TOP↑

