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無限

 二〇〇八年 八月。



 かつての病との闘いの中で、気分や感覚は変化した。

 しかし、地獄から抜け出しても、そこにあるのは天国ではなく、何もない荒野だった。今までと同じやり方では、これ以上進めそうもなかった。そもそもどっちが前か後ろかさえ分からない。

 そのうちだんだん今までやってきた事は、結局気分や感覚をいじくっていただけではないのかという疑念と失望を感じるようになった。

 しかし、気分や感覚をいじくっていただけというが、気分や感覚以外に何があるというのか。抽象的な思考か。

 だが、そんな形のないものを何で、これは思考だ、これは感覚だと区別できるのだ。そんなものは私が勝手に作り出した幻ではないのか。そんなことだから、気分や感覚をいじくっていただけだなんていうおかしな考えが生じるのだ。

 気分や感覚をいじくっていただけと言い切ってしまえば、実際に気分や感覚の問題に止まってしまうだろう。しかし、本当は全ては複雑に絡み合っているのではないか。だったら、今度こそ全てを絡め取ってやる。






 以前はこの世界が特定の意志を持って動いているように見えていて、その意志と私の内面は密接に干渉し合っていた。この世界がもっと生々しく見えていた。それは病との闘いの中でのことで、見通しが全く利かずとにかく目の前の現実だけに集中していた。その必死さのせいだろうか、この世界に生々しい動きと拡がりを感じていた。

 でも、それはその場限りの激情に身を委ねているだけにも思えた。この世界を現在という一点でなぞっているに過ぎない気がした。

 やがて必死さを失うと、だんだんと見通しは利くようになっていったが、世界はどんどん静かになっていった。






 子どもの頃は単に周囲の現実に適応するためや、子どもじみた好奇心を満たすために勉強していた。病気になってからは自分の個人的な苦悩を慰めるためや、単なる自己満足的な暇潰しとして勉強していた。でも、最近は勉強する方法や意味がだんだん分かってきた気がする。

 瞑想と勉強を上手く組み合わせてみよう。いや、組み合わせるというより、本当はもともと地続きなのかもしれない。精神的、肉体的コンディションを整えるために瞑想しようと思っていたが、そんな単純なことではないのかもしれない。

 ずっと以前は圧倒的な絶望感と全身を覆う不快感で、勉強しようとしてもなかなか出来なかった。その後、瞑想によって気分や感覚はある程度コントロール出来ることを知った。

 しかし、私にとって瞑想は酷くしんどい行為だった。しかもすればするほどその目的と意味が分からなくなった。瞑想というのはまるで人生そのもののように、とんでもなく正体不明な行為だった。

 気分や感覚に対して統制可能感を得たのは、私にとって大きな事だった。行動力を増さなければ何も始まらないことを思い知り、そのためにそれまで目を背けてきた病と正面から向き合わざるを得ず、始めた戦いだった。そしていつしか一つの段階が終わった。しかし、次の段階がどうしても見えなかった。

 自分は何のために、どういう形で社会と関わるつもりなのか、まるでイメージ出来なかった。勉強できないことに頭がくらくらするほどの悔しさを感じていたが、今さら何をどのように勉強していいのか分からなかった。勉強することの意味そのものが、いつの間にかすっかり変わってしまったようだった。






 気分や感覚をいじくっていただけではないのかという失望により、気分や感覚のコントロールは放棄された。にも関わらず、他に何をどうしていいのか分からず、そんな事をして何になるのかと思いながらも気分や感覚にこだわった。結局一から自分を作り直さなければならないというような、過剰な考えに囚われるようになった。しかし、常に「これでいいのか」という迷いと焦りがあるだけで、具体的に何が問題なのか、何をどうしていいのか分からないのだから、思考も感覚も空回りするだけだった。

 そんな確信を持てない、真剣さに欠ける時間を重ねたせいだろうか、以前は自分には無限の可能性があるように感じていたのに、いつの間にか自分の人生の中で出来ることなど高が知れているように感じるようになってしまった。世界はすっかり静まり返った。

 なるほど、遠くを見ることを忘れれば、目の前のものがやたらと大きく見えるわけだ。





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|この身体、この精神 | 17:36 | comments:4 | trackbacks:0 | TOP↑

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発熱

 二〇〇八年 七月。


 学問とは単に知ることではなく、自分を、そして世界を変えていくことなのだ。何でそれが子供の頃はわからなかったのだろう。しかし、子供の頃はものを考える方法も意味も十分に知らなかったのだから当然かもしれない。






 私は子供の頃、喘息持ちだった。自らの貧弱な肉体にすっかり失望し、それを軽蔑していた。だから自らの不快な身体感覚を思考から切り離し、自らの肉体的条件を無視しようとばかりしていた。しかし、いくら目を背けようとしても、肉体的条件が思考に与える制約は決定的だった。

 子供の頃は肩凝りが酷かった。脳みそまで凝っている感じで、頭の中に酷い不快感が充満していた。脳みそを思いっきり揉んでやりたい感じだった。しかし、肩なら揉むことも出来るが、脳は触ることすら出来ず、そのことがさらに私を苛つかせた。ものを考えようとすればするほど、身体的な不快感が気になり、そのストレスで頭も身体も重く、だるくなるばかりだった。凄い不十全感だった。

 今から見ると、頭の中だけでぼんやりと思考している感じで、思考の目は粗かった。

 しかし、大人になると変わった。本当に思い詰めて考えると、身体の全神経を集中して思考している感じになった。まさに血が滾るようで、体温は三十八度前後まで上昇する。それはこれが若さというものかと思えるような魅力的な激しさだった。

 だが、最近はよほど意欲が低下しているのか、三十五度台を平坦に維持している。

 しかし、そんな事を考えていると、身体がポカポカと暖かくなってきた。体温を測ってみると、三十八度を越えていた。しかし、体温が高いと多くのエネルギーを消費するのか、数時間後に計ってみると三十三度台まで下がっていた。

 以前病との闘いの中で、気分や身体感覚は変化した。しかし、同時にこれは死に物狂いで気分や感覚をいじくっているだけではないのかという疑念と失望も感じた。

 だが、もしかすると単に気分や感覚をいじくっていたのではなく、意欲そのものをコントロールしようとしていたのかもしれない。そして、私は意欲を熱感という具体的な身体感覚として感じるのではないだろうか。だとしたら身体の中に生じる熱感を意識することで、意欲をコントロール出来るかもしれない。

 体温が高いときの体感を覚えてしまえば、意識的にそのような体感を作りだそうとすることで体温を上昇させることが出来るはずだ。

 そういうわけで、数日間寝ても覚めても、平坦に三十八度台の体温を維持した。体中を熱感が駆け巡っている。それはよくあるのぼせて上半身が力んでいる感じとは違う、全身が頑強な感覚で覆われているような手応のある感覚だった。

 しかし、そんな妙な興奮状態ではまともに眠ることも出来ない。やがて疲れて頭が痛くなってきた。

 それで、闇雲に熱感ばかりを意識するのはやめた。それでも、常に三十五度台というような低体温症のような状態からは抜け出し、特に意識しなくても目が覚めたときは三十六度前後、活動中は三十七度前後というまともなリズムが戻った。

 そして、これはこれで好いとして、次に進むことにした。



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困難

 二〇〇八年 七月。


 プラトンを読んだとき、この世界の背後には、五感では感じとることが出来ない、純粋な理性によってのみ捉えることが出来る原理があるというような彼の考え方が、現代の科学にまで続いていることに結構衝撃を受けた。

 二千年以上前に投げられたボールを、今私が受け取った気がした。こんなところまでボールを投げ込んでくるなんて、どれだけ強い肩をしているのだ。

 しかし、アリストテレスは形而上学の冒頭でそれまでのギリシアの哲学を振り返っているし、ソクラテスやプラトンやアリストテレスが特別というより、それまでのギリシアの蓄積が彼らを生んだのだろう。

 彼らが百年早く生まれていたら、今残っているような業績は残せなかっただろうし、逆に彼らのすぐ後にどんな優秀な人間が生まれても、しばらくはもうやる事は残っていなかったのかもしれない。

 ダーウィンの進化論の場合も百年、二百年前からさまざまな複線が敷かれていた。




 小学生の頃は、物理学者になりたかった。

 しかし、中学生の頃には世界の全てを科学し尽くすことなんて出来ないし、仮に出来たとしてそれが何になるのかと思うようになっていた。そもそも科学することで自分がこの世界をどうしたいのかがわからなかった。

 というより、そもそも自らの意志というものが理解できなくなっていた。

 私は自分の好き嫌いさえ自分で決められない。予め計算の上で、自分の意思で、何かを好きになったり、嫌いになったりしているわけではない。気がつくといつの間にかそういうものが出来上がっている。そして、自分がなぜそれが好きなのか、嫌いなのか、実際のところはよくわからない。自分の意志がどこからやってくるのか、どのような過程で形づくられるのかまったくわからなかった。

 結局全ては、気紛れや思いつきに過ぎないのではないか。そんなもの、自分の意志と呼べるのか。そもそもそんなもの始めから存在しなのではないのか。自分の意志すら持たない私とは何なのか。というより、「私」という言葉はこの世界のどの部分を指す言葉なのだ。

 やがて、自分が自分でないような、奈落の底に落ちていくような、不気味な不安に取り憑かれていった。

 しかし、今考えれば、考えるということはけして知るということに止まることはなく、自分自身を、そして世界を変えていく。それは必然的に起こる。私の意志で恣意的にどうこう出来ることではなかったのだ。

 



 
 ダーウィン展を見た後、数日間そんな事ばかり考えていた。

 しかし、やがてそれ以上考えることが重荷になっていった。ダーウィンの勤勉さや博識に比べたら、自分は全然駄目なんじゃないか。というより、勤勉な人間なんていくらでもいる。皆それぞれ頑張って生きている。それに比べて私は怠惰で無学で、何の知識も技術もない。自分なんて口先ばかりで何の努力もしていない気がして、恥ずかしい。

 何だかうんざりしてきた。しかし、私の駄目さ加減は今に始まったことではない。とにかく謙虚に自分の弱さを受け入れた上で、どうするかよく考えよう。そして、今出来ることを全力でやるしかないだろう。それが出来ないならば、私は本当に腑抜けだ。




 ところで、しかし、そのように抽象的な思考が重要だとしたら、以前瞑想して感じた、極度に集中した感覚や、身体感覚の変化は何だったのか。

 多分、思考も結局肉体の機能の一つに過ぎないから、気分や身体感覚の影響を受けるのだろう。

 再び自らの「性質」が操作の対象となり、自らの主体を世界と自己との関係性という、自らの内とも外ともつかない場所に置かざるを得ないときがくる。そのための極度の集中がいずれ必要になるだろう。





 しかし、辛い。何も彼もが上手くいっていない気がする。

 何年も前は激しい絶望と恐怖で、ただ意識があるだけで辛かった。全身を圧倒的な不快感が覆っていて、身体を起こしているのも辛かった。

 生きていることを、どうしようもなく無意味に感じていた。しかし、生きることを放棄することは私という意識を生み出したこの星の文明とその歴史に対する裏切りに思えた。それで生きることがどんなに無意味で苦痛に満ちたものだとしても、生き抜く決意をしたつもりだった。

 しかし、今考えれば、生きている人間が殊更生きることを決意しただの、選択しただの言うわけがなく、要するに、常にそんな事を自分に言い聞かせていなければ生きていられないほど辛かったのだろう。

 そんな最悪の地獄からはいつしか抜け出したが、何とか生きることを受け入れられたという事と、普通にてきぱきと目の前のことをこなしていけるという事との間に、まだ大きな距離を感じる。

 何も彼もが面倒だ。飯を食ったり、歯を磨いたり、風呂に入ったり、そんな日常の瑣末なことが特に重荷だ。

 勉強していても、勉強しなければならないことが増えていくばかりで、今のやり方では全然追いつかない。

 自分のやろうとしていることが不可能だとは全く思わない。しかし、「可能である」という言葉と「不可能ではない」という言葉の間に大きな距離を感じて、怖気づいている。

 しかし、目に見える変化というのは少しずつ起こるのではなく、目に見えない小さな変化の蓄積が一定の量を超えたとき、一気に起こるのかもしれない。突然に様相が変わる日が、いつか来るのかもしれない。





 

 息抜きがしたくて、ネット上で見つけた無料ゲームを始めてみた。始めはそんなことに時間と労力を使うことに強い抵抗を感じて、うんざりした。

 しかし、そのうち夢中になってきて、どうしたら上手くいくのか、ああでもない、こうでもないと考える。目の前の現実に対するリアリティが変化していく。

 それまでは平坦に見える世界の一部を、学問だ、芸術だといって無理遣り盛り上げようとしている感じだったが、急に世界が立体的に見え始め、私の周囲を取り囲み始めた。再び世界が動き始めた気がした。

 無理に大げさなことを考えて自分を駆り立てて、興奮と疲弊を無意味に繰り返すのはもういい。ゲームの中のキャラクターを育成するように、今は取り敢えずちまちまやっていこう。


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|この身体、この精神 | 03:12 | comments:4 | trackbacks:0 | TOP↑

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博物学

 二〇〇八年 六月。



 国立科学博物館でのダーウィン展。






 会場の入口の色々な生物の標本を眺めながら、ちょうど最近ゲノムだとかDNAだとかの記事を読んでいたから、様々な生物のゲノムの中に散らばる様々な遺伝子を連想した。

 ダーウィンが生物の多様性に統一的な理解を与えたように、遺伝子相互の関係やその複雑な発現調節機構に統一的な理解が必要だろう。





 私からガラスの壁をはさんで二、三メートル離れたところに、生きたゾウガメがいる。よく見ようとしゃがむと私の動きに反応し、こっちにゆっくりと首を向けて、目をしょぼしょぼさせたり、口をもごもごさせたりした。しかし、それだけだ。全くその場から動こうとしない。

 近くにいた親子連れが、

 「もう、おじいさんだから仕方ないよ」

 と言う。

 確かに推定年齢七十八才と書いてあるが、百五十年から二百年生きるとも書いてある。おじいさんというより、中年のおじさんだろう。それとも、カメというのは老年期が異常に長いのだろうか。

 一畳ほどの広さのアクリルケースの中にイグアナもいた。最初全く動く様子がないから、模型か何かだと思っていた。しかし、近づいてその前で立ち止まると、閉じていた目をゆっくりと開けた。生物として異常だと思えるほどに全く動かないが、よく見ると目の瞳孔だけが激しく大きくなったり、小さくなったりしている。アクリルの板をはさんで私の顔とイグアナの顔の距離は二十センチほどだ。

 さらにその目を覗き込もうとすると、急にガサッと身体をよじるように動かし、私を威嚇するようにカッと目を見開いた。

 私は動物園にはあまり行ったことがないが、ハトやカラスや、ネコやイヌとは違う、見慣れない動物を間近で見ると、何だかテンションが上がる。動物園に行ってみるのも面白いかもしれない。





 ダーウィン以前から生物学者たちは生物を分類していく中で、外見が大きく違っても骨格は互いに類似していることに気づいていた。

 そして、地上の多様な種は、少数の種が少しずつ形を変化させてきた結果としてあるのではないかというアイデアを、ぼんやりと抱き始めていた。学者であったチャールズの祖父もその著書の中でそんなことを既に書いていた。

 人々は子は親に似ているが少しずつ違うこと、作物や家畜は品種改良によって少しずつ性質を変えることが出来ることなどを、経験上知っていた。しかし、当時は遺伝子という考えがなく、具体的に何が親から子に伝わるのかまるで分からなかった。

 そして、そもそもこの地球が出来てからどれくらいの時間が経ったのかがまるで分からなかった。聖書によるとこの世界が造られてから六千年ということになる。しかし、そんな短い時間の中でこれだけ多様な生物種が進化によって生まれてくるとは考えられない。

 というわけで、進化というアイデアは漠然としたものに止まっていた。

 なるほど、随分前から様々な伏線がばら撒かれていて、それらがダーウィンという才能の上に収斂していたのだ。






 東京大学の総合博物館でリンネの展示を見たとき、生物の標本の中に鉱物も展示されていて違和感を持ったが、ダーウィンも鉱物に詳しい。

 ダーウィンはアンデス山脈を地質調査して、アンデス山脈が平地が隆起して出来たことを知る。そして、チリで巨大地震に遭遇し、土地が数メートル隆起しているのを目撃する。しかし、一度や二度の地震で平地が山脈になるわけがなく、この地球は自分たちが考えているよりもずっと長い歴史を持っているのではないかと考えるようになる。

 当時、この地球は出来てから数百万年以上経っているのではないかという鉱物学の論文も発表されていた。数百万年あれば、今ある多様な生物種が進化によって生まれることも可能なのではないかと、ダーウィンは考えるようになる。

 生物が長い年月の中で少しずつ姿を変えてきたように、この地球自体も常に変化していたのだ。というより、地球の環境の変化に適応するために、生物はその姿を変化させてきたのだろう。

 そんな内容の展示を見ながら、なるほど博物学とはそういうものなのかと思った。彼らの目には、生物も鉱物もこの地球自体も全て神の創造物として、一繋がりに見えていたのだ。

 展示の中では保守的な創造論者の意見も紹介されていた。しかし、近代科学はキリスト教的な創造論から生まれたのではないのか。リンネも神の財産目録を作ろうと、生物や鉱物の分類を始めた。神という知性によってこの世界が造られたのなら、神の似姿として造られ、同じく知性を持った存在である人間にもこの世界の仕組みを理解できるのではないか。そんな考えが、科学者の執拗で強迫的な観察と分析を生み出したのではないのか。




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|美術館・博物館 | 19:05 | comments:12 | trackbacks:0 | TOP↑

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緊迫感と覚悟

私には自分と他人を比較するという習慣がない。

でも、自分に出来ないようなことが出来る人を見ると、たまに不意に劣等感を感じることがある。劣等感を感じることに不慣れな私は、そういうとき結構動揺する。

しかし、それも瞬間的なことで、すぐに「まっ、いっか」という感じでそのリアリティは急速に薄まっていく。

でも、その「まっ、いっか」というのが、何だか不真面目な気がして、その劣等感のリアリティにすがって自分の現状と向き合ってみようと思った。しかし、人間個人間の差異なんて高が知れている。そんなことにこだわるのは馬鹿げているし、劣等感で自分を駆り立てようなんて、自分本来の考え方ややり方と全然違う気がして、すぐに劣等感はどこかへ放り出されてしまう。






本当は私にとって劣等感なんて、どうでも好い。そんなことより、この世界や自分自身に圧倒的な確信を抱きながら、同時に、こんなことでは不味いのではないか、自分は全然駄目なんじゃないか、というような腹を下しそうなほどの焦りと不安を感じている。

しかし、そんなことを言っていても仕方ない。そのような焦りや不安を、好い意味での緊迫感や覚悟に変えていかなくてはならない。そして、それは一時的な気分では駄目で、その緊迫感や覚悟を維持して、そうすることで実際の行動や習慣を変えていかなければならない。

でも、それがなかなか上手く出来ない。

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|日記、雑談 | 20:12 | comments:10 | trackbacks:0 | TOP↑

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